ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 美術館にて | トップページ | リストという男 »

2012年7月23日 (月)

濡れ衣

あらぬ疑いをかけられることだ。「濡れ衣を着せられる」と言い回される。一方で「火のないところに煙は立たぬ」という諺もあるから、冷静な判断が求められる。

1853年6月ワイマールのリスト邸を訪問したブラームスは、場の雰囲気になじめず、ピアノ演奏は辞退した挙げ句に、足早にその場を辞去したとされている。リストが自作を演奏している最中に、ブラームスが居眠りしたという有名なエピソードがある。リストが気分を害したとも伝えられている。

本当だろうか。

リスト邸を辞して後、1853年10月にはデュッセルドルフにロベルト・シューマンを訪ねたブラームスのその後のブレークぶりは名高い。シューマンは早急に出版の手続きを進めた。ブラームスは出版社との打ち合わせも兼ねて11月にはライプチヒを訪れている。このときたまたまライプチヒを訪れていたリストを訪問しているのだ。ちなみにベルリオーズも一緒だったらしい。居眠りのエピソードから半年も経っていない。この訪問は無神経とも思えるし、当のリストがケロリと訪問を受け入れたというのも変だ。

そもそもいわゆる居眠りのエピソードの出所は、ウイリアム・メイスン。ところが、彼は実際にブラームスが居眠りしているのを見た訳ではないようだ。ネタの出所は当時のブラームスの相棒、ヴァイオリニストのエドゥワルド・レーメニだ。

ブラームスはここでレーメニとのコンビを解消しゲッティンゲンにヨアヒムを訪ねたことは有名だ。つまりレーメニとは決裂したのだ。居眠りの話はレーメニの腹立ち紛れの出任せかもしれない。このレーメニとは後日ハンガリア舞曲の著作権をめぐって裁判沙汰も起こしている。「彼には嘘が多かった」というブラームスの回想は、あながち誇張ではなく、この居眠りのエピソードをも含んでいたのではなかろうか。

本当は「これにてお暇させていただきます」と挨拶くらいしてワイマールを去ったのかもしれない。失礼な去り方をしていたら、半年以内に表敬訪問なんぞ出来まい。

居眠りは濡れ衣。

« 美術館にて | トップページ | リストという男 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 濡れ衣:

« 美術館にて | トップページ | リストという男 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ