鴎外とブラームス
森鴎外とブラームスに意外な接点でも見つかれば、ブログ運営的には万々歳なのだが、そうも行かない。森鴎外がドイツに留学していた時期の日記が「独逸日記」なのだが、その時期はブラームスの創作活動の頂点とも言える時期だった。鴎外は以下の通り拠点を移しながら学んだ。
- ライプチヒ時代 1884年10月22日から1885年10月11日
- ドレスデン時代 1885年10月12日から1886年3月7日
- ミュンヘン時代 1886年3月8日から1887年4月15日
- ベルリン時代 1887年4月16日から1888年5月21日
1884年10月22日から1888年5月21日までの留学期間に初演されたブラームスの作品を見るとそれが傑作の森とも称すべき主要器楽作品の密林でもある。
- 第4交響曲 1885年10月25日 マイニンゲン
- チェロソナタ第2番 1886年11月24日 ウィーン
- ヴァイオリンソナタ第2番 1886年12月2日 ウィーン
- ピアノ三重奏曲第3番 1886年12月20日 ブダペスト
- 二重協奏曲 1887年10月18日ケルン
鴎外が本拠にした4都市、ライプチヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンはブラームスも立ち寄ることはあったが生活の本拠ではなかった。二人のニアミスの可能性は限りなく低い。第4交響曲のドレスデン初演は鴎外がこの地を立ち去った3日後だ。二重協奏曲のベルリン初演は、鴎外がベルリンにやってくる2ヶ月前だった。
鴎外の「独逸日記」は、ブラームスと同時代のドイツを日本の文豪が切り取った貴重な同時代資料だが、逆にブラームスとの接点があまりに無さ過ぎて悲しい。
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