遭遇の可能性
1873年の夏、ブラームスはクララやヨアヒムとちょっとしたいさかいを起こしていたせいで、いつものバーデンバーデンを避暑地に選ばなかった。代わりに滞在したのがトゥツィングだ。ミュンヘンの南シュタルンベルク湖畔の街。避暑のためにウィーンを出た時期に明確に言及する書物が見当たらない。5月のどこかとまでしかわからない。
岩倉使節団の行程を調べていて興味深いことに気づいた。1873年5月7日にミュンヘンを出て、インスブルック、ヴェローナを経てフィレンツェに向かったとある。さらに調べるとミュンヘンを発つのは7日の夜だ。夜行列車を使いインスブルックには8日の朝に着いたらしい。使節団が列車で越えたのが、名高いブレンナー峠だ。さらに列車はドイツ最高峰ツークシュピッツェ北麓をかすめたに決まっているが、残念ながら真夜中。
ブラームスの避暑地トゥツィングは、まさにミュンヘンからインスブルックに向かう列車の経由地だ。ブラームスが40歳の誕生日を避暑地で迎えたなら、その夜に岩倉使節団が枕元をかすめて通ったということになる。
その夏、ハ短調とイ短調の弦楽四重奏曲、それから「ハイドンの主題による変奏曲」が、トゥツィングで作曲されたと目されている。
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