鏡の間
1871年普仏戦争に勝利したプロイセンは過激なことに、ウイルヘルム1世のドイツ皇帝への即位式典を、パリ・ベルサイユ宮殿で挙行する。会場になったのが鏡の間だ。フランス人にとっては屈辱的だ。普墺戦争の敗者オーストリアに対する寛大な措置とは雲泥の差である。アルザス・ロレーヌ地方の併合と共に大きな遺恨となる。
時はめぐり1918年第一次世界大戦の講和条約が、パリ・ベルサイユ宮殿で締結された。世に言うベルサイユ条約だ。締結された会場がまたしても鏡の間だった。これは歴史の偶然ではなく、明らかな仕返しだ。
このときドイツに課された賠償金は、当時のドイツのGDPの20年分とも言われる大金だ。この過酷な戦後処理が第二次世界大戦の原因とも指摘されている。
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