中央党
ドイツ帝国成立後、ビスマルクがカトリック教会と対立した話題は既に出た。ローマ教皇ピウス9世率いるカトリックを、帝国の敵と位置づけて激しく弾圧した。「教皇は絶対に過ちを犯さない」など極端な考えのピウス9世は自由主義や民主主義、科学など一切を否定した。
この争いのこと文化闘争と呼んでいる。ビスマルクの弾圧も苛烈で、プロイセン国内の修道院が解散させられたために、いくつかのワイン醸造所が人手にわたった。聖職者は「哲学」「歴史」「ドイツ文学」について文化試験をパスするように義務付けた。
極端な政策を実行すれば敵も現れる。ドイツ帝国憲法に少数派となるカトリックの権利を保障することを求める中央党が発足した。1870年のことだ。普墺戦争でお取りつぶしにあったハノーファー王国出身のウインドホルストが党首を務める。「反帝国」「反プロイセン」「反統一」を掲げ、ビスマルクと真っ向から対立する。
中央党の議席数を目安にする限り、文化闘争におけるビスマルクの旗色は悪い。ピウス9世の崩御によって幕引きされる文化闘争だが、中央党はいつもビスマルクの野党であり続けた。
中央党は現在ドイツの与党CDUキリスト教民主同盟の前身らしい。
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