議会との折り合い
1862年、宰相に就任してからの10年間、ビスマルクは大きな戦争に3連勝した。当初敵対した議会も、ビスマルクになびき大与党が発達した。だから皇帝の信頼もあって、微妙な駆け引きと豪腕を使い分けながらも、悠々と議会と折り合った。
ところが、1871年のドイツ帝国成立以降、大きな国際紛争がなくなったことで、議会運営は難しくなって行く。プロイセン宰相とドイツ帝国宰相との兼務は微妙なズレを生んで行く。
1886年だから引退の4年前のことだ。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻の79ページで、友人のヴィトマンは、ビスマルクの粗探しをする議会にブラームスが文句タラタラだったと証言する。政治的事件に対するブラームスの視点はいつも、「ドイツ国民の利益になるかどうか」だったともいう。
ビスマルクの断固たる支持者ブラームスである。
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