岩倉使節団
明治維新間もない日本が、欧米諸国の実情を視察するために派遣した。団長は右大臣岩倉具視。以下、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文など錚々たるメンバーを含む46名と、随員留学生など総勢107名だ。彼らの目的は以下の通り。
- 国書の拝呈
- 条約改正の予備交渉
- 各国事情の視察
1871年12月23日に横浜を出港。1873年9月13日に帰国するまでおよそ1年10ヶ月の洋行だ。第一の目的である国書は以下の通りに手渡された。
- 1872年01月25日 アメリカ グラント大統領
- 1872年12月05日 イギリス ヴィクトリア女王
- 1872年12月26日 フランス ティエール大統領
- 1873年02月18日 ベルギー レオポルド2世
- 1873年02月25日 オランダ ウイルヘルム3世
- 1873年03月11日 ドイツ ウィルヘルム1世
- 1873年04月03日 ロシア アレクサンドル2世
- 1973年04月19日 デンマーク クリスチャン9世
- 1873年04月25日 スウェーデン オスカル2世
- 1873年05月13日 イタリア エマヌエレ2世
- 1873年06月08日 オーストリア フランツ・ヨーゼフ1世
- 1873年06月21日 スイス セレゾール大統領
欧州の列強と米国を網羅している。一行はとりわけ英仏米の先進性に驚いた。条約改正が一筋縄では行かないことを実感したという。
惜しい。1872年秋から1873年春にかけてブラームスはウィーンにいた。楽友協会の芸術監督として忙しい毎日を送っていたから、岩倉使節団とのニアミスは起きていない。さらに一行がウイーンに来た6月には既に夏の避暑に出かけた後だから、鉢合わせの可能性はゼロだ。
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