万国公法
厳密に申して2系統の意味がある。
一つは「国際法」の古い言い回し。今ひとつは1860年代に翻訳された国際法の手引き書のタイトル。この書物を指す場合と国際法そのものを指す場合がある。最初は中国語版が刊行されたが、遅くとも1870年までに日本にもたらされた。開国間もない日本は、この書物を通して国際法とは何かを学んだ。国際社会の一員になるために必死で学んだと思っていい。
国際法上の正規な手続きをとって条約改正を目指した。岩倉使節団の目的は条約改正の先触れだったが、米英仏の反応は鈍い。のらりくらりをかまされたり、断られたりだ。どうもおかしいと乗り込んだドイツで、種明かしが待っていた。
ビスマルクは使節団に演説する。「列強は国際法が自国の利にならないと悟れば遠慮なく踏みにじる」と。日本の求める条約改正は、列強の既得権の返還だから、国際法の手続きを踏んでいても、やすやすとは応じないと。「最後は力でっせ」という訳だ。
目から鱗の使節団は、途端にドイツのビスマルク・モルトケに心酔する。一行の帰国した3年後、朝鮮と江華条約を締結する。武力を背景にした不平等条約だ。締結の直前には、清国に対して朝鮮半島への介入排除を約させている。李鴻章と交渉に当たった森有礼は、アジア諸国が団結して欧米に対抗しようという李鴻章に対して、「万国公法、又無用なり」と言い放つ。ビスマルクの受け売りだ。
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