カノッサの屈辱
世界史を選択する受験生にとって基本中の基本。1077年神聖ローマ帝国ハインリヒ4世が、カノッサの雪の中裸足で立ち尽くして、ローマ教皇に詫びを入れ、破門を解いてもらった事件。皇帝と教皇の勢力争いの中の一こまだ。
ビスマルクにとってドイツ帝国成立後、内政に難題を抱えていたが、その一つが文化闘争といわれるカトリックとの対立だった。ピウス9世率いるローマカトリックはドイツ帝国の敵と位置付けられていた。
カトリックの弾圧は結果としては失敗に近かったがビスマルクは議会で強硬姿勢を改めようとはせず「私はカノッサには行かない」という演説を残した。
これは「カノッサの屈辱」を踏まえた言い回し。「カノッサに行く」は「ローマ教皇に頭を下げる」という意味がある。一般のドイツ人なら断り無く発せられたとしても即座にピンと来る。こういう比喩を使わせたら右に出るものがいなかったという。
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