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2012年8月16日 (木)

私営国際連盟

ドイツ帝国成立後のビスマルクの功績はそれまでの手柄に比べてここ日本では話題になりにくい。派手な戦争に替わって外交の駆け引きでドイツ帝国の安全保障を模索したからだ。ビスマルクの脳裏にあったのは、いつも「対フランス」という発想。全ての行動がこれで一貫している。手始めが、普墺戦争で戦ったばかりの相手オーストリアとの同盟だ。1877年のこと。以下ビスマルク主導で成立した同盟の数々を列挙する。

  1. 独墺同盟
  2. 三帝協商(独、墺、露)もはやフランスはドイツを挟撃出来ない。
  3. 三国同盟(独、墺、伊)フランスはこれでイタリアにも手出しが出来ない。
  4. 地中海協定(英、伊)スエズ運河の領有をめぐる英仏の対立から。
  5. 東方協定(英、墺、伊、西)地中海を事実上掌握。
  6. 伊西協定(伊、西)フランスを東西から挟む。
  7. 拡大伊協定(独、墺、伊、西)上記6を拡充。
  8. 友好援助協定(独、墺、ルーマニア)バルカンの火薬庫を塩漬けに。
  9. 拡大独墺同盟(独、墺、ルーマニア、セルビア)上記8の拡充。

すぐにわかるのは「フランスの仲間はずれ状態」だ。フランスが身動き出来ないばかりか、その他の当事国同士も紛争が起きない仕組みである。さらにスエズ運河の領有をめぐる英仏の確執を利用して、たくみに英国を巻き込んでいるので犬猿の仲の英露が間接的に同盟状態になる。そして事実上の独英同盟が成立していることにもなる。

1871年の普仏戦争を最後に1914年の第一次世界大戦まで欧州中枢部では戦争が起きない。これら全部ビスマルクが表裏で列強を操った外交の賜物で、この状態を「ビスマルク体制」と呼ぶ。およそ50年におよぶ平和「私営国際連盟」である。

後期ロマン派とは、こうしたつかの間の平和の中で絢爛たる花を咲かせることになった。

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