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2012年10月 7日 (日)

長寿BMW

クルマの話ではない。まずは黙って以下のリストをご覧いただく。

  1. ウイルヘルム1世 1797-1888 91歳
  2. モルトケ 1800-1891 91歳
  3. ビスマルク 1815-1898 83歳

ドイツ帝国が世界に先んじで年金制度を導入したとき、支給開始が71歳だったことが批判された。当時男性平均寿命が50歳程度だったからだ。64歳で没したブラームスは、けして短命ではなかったし、46歳でこの世を去ったシューマンでさえ、極端に短命というわけではなかったことがわかる。そうした時代において3人は、まれな長寿を全うしたといえそうだ。

そしてこの3人をドイツ帝国創設の立役者だと断言してもブログが炎上することはあるまい。この3人がプロイセンという国にほぼ同時に出現して同じ時代を生き、お互いを補完しあいながら、偉業をなしとげたことは奇跡近い。

何よりも特筆されるべきは、この3名けして蜜月な関係だったわけではない。ウイルヘルム1世は側近に「ビスマルクの許で皇帝の座にあるのは大変なことだ」と語った。2人はいつも衝突したが大抵皇帝が折れる形で折り合った。戦場の最高指揮官としてのウイルヘルム1世と参謀総長としてのモルトケの間にしばしば意見が合わなかったといわれているが、モルトケは半ば恫喝気味に「お一人で決めなはれ」と言い放って皇帝が折れたと言われている。モルトケとビスマルクの関係は冷めたものだったが、宰相と参謀という職分をお互いが理解しあっていたために破局だけはいつも回避できた。あるいは皇帝が仲裁に乗り出すこともあった。

ブラームスの後半生をすっぽりと覆い尽くすように平和な時代が続いたのは、この3人が鎮座する帝国の威光が物を言った。イニシャルを並び替えるといい。BMWになる。

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