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2012年10月16日 (火)

ヨーロッパ

今でこそ欧州連合は当たり前の存在だが、この域に達するまでには長い時間がかかった。欧州の平和などと口にしても誰も信用しなかった。ビスマルクはドイツ帝国成立後の欧州に束の間の平和をもたらしたが、その目的はあくまでも帝国の安全保障だった。欧州の平和をドイツ帝国のために利用したに過ぎない。

鉄血演説の影に隠れてあまり知られていないが、お気に入りのエピソードを一つ。

1863年ロシアが支配する旧ポーランド領で、ポーランド人が反乱を起こした。ビスマルクはロシアによるその鎮圧を支援した。鎮圧軍が国境を越えてプロイセン領内まで反乱軍を追いかけることを認めた。

非人道的であると欧州中から批判された。とりわけ英国は批判の先鋒になった。英国大使のブキャナンは「ヨーロッパがそれを許さない」と大した剣幕でつっかかったその時だ。ビスマルクは「はて、ヨーロッパとは誰のことですかな?」と平然と切り替えしたという。

そもそも欧州列強はアジアやアフリカでは非人道的な植民地支配を継続しているのに、ここぞとばかりに人道主義を持ち出すことの欺瞞を見抜かれている。ヨーロッパの正義なんぞ絵に描いたピザで、国益丸出しの隠れ蓑に過ぎないと看破していた。

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