郵便連盟
正確には「ドイツオーストリア郵便連盟」という。1850年に成立した。鉄道の開業、関税同盟の成立と並ぶドイツ産業革命の牽引役と評価する学者もいる。ドイツ連邦内の郵便事業の統一が実現した意義は大きい。それまでドイツとオーストリアには郵便の事業母体が16も存在し、競争状態にあった。同じ都市間の郵便でも、どこを経由させるかで配達までの時間や料金が違っていた。名高いタクシスを使うのが安価だったが、郵便馬車の通行に課金する国もあって、結果として複雑な料金体系になっていた。
これを一気に解消したのが郵便連盟だ。交渉の場はフランクフルト国民議会。ドイツ連邦の議決機関。メッテルニヒ無きあととはいえ、あくまでも主役はハプスブルク家率いるオーストリアだった。普墺戦争の16年前だから、神聖ローマ帝国は消滅したものの、ハプスブルク家の威光はまだ健在だった。だから関税同盟においてはその推進役だったプロイセンも、ハプスブルク家と姻戚関係にあるタクシス家を無視できなかった。よってドイツとオーストリアの名前が仲良く併記されている。
連盟成立の翌1851年に、プロイセンから同議会の公使に抜擢された男こそがビスマルクだ。何事につけオーストリア主導の方針に対抗して行くようになる。
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