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2012年10月22日 (月)

ザクセン・ラウエンブルク公国

シュレスヴィヒ公国、ホルシュタイン公国とともにエルベ3公国と呼ばれていた。現在ではドイツ領でハンブルク市の東隣一帯を占める小国。1864年に起きたデンマーク戦争の際、プロイセンは同公国を占領し、翌年にはウィルヘルム1世を君主に迎えプロイセン王国と同君連合する運びとなる。同時にビスマルクが同公国の宰相に就任している。このときザクセン・ラウエンブルク伯爵となった。この状態は1876年まで続き、公国は解体されてプロイセンに併合されてしまう。

1871年ドイツ帝国成立に功ありとしてビスマルクが、下賜された所領フリードリスルーは、まさにこのザクセン・ラウエンブルク公国内にあった。引退後この地に引きこもるビスマルクに対し、1代限りの条件付ながらザクセン・ラウエンブルク公爵位が授与された。

公国は公爵が君主になっている国だから、ザクセン・ラウエンブルク公爵はすなわち同公国の君主を意味する。既にプロイセンに併合されて消滅した公国なのだが、ビスマルクはその所領に名目上の君主として降臨したに等しい。

当時ユンカーからの出世は子爵止まりが通例だったが、ビスマルクは一代限りとはいえ最高位の公爵まで昇った。公国領主への大出世であった。

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コメント

<品川さま

いらっしゃいませ。
昔の記事を掘り当てていただいたばかりか、貴重な情報をお寄せいただきありがとうございました。

不躾に過去記事へ書き込み失礼します。ドイツに子爵は無いし、大モルトケはモルトケ=クライザウ伯爵に、ビスマルクもビスマルク=シェーンハウゼン侯爵になってますから、子爵止まりは侯爵止まりの誤りでは?と思った次第。

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