アウグスタ王妃
ドイツ帝国皇帝ウイルヘルム1世の妃。正式にはマリー・ルイーゼ・カタリーナ・アウグスタという。ザクセン-ワイマール-アイゼナハ大公国の王族に生まれた。夫ウィルヘルム1世は、相思相愛の婚約者との結婚が政治的理由で破談になった後に、アウグスタを妃に迎えたこともあって、夫婦仲は波乱含みだったといわれている。
実はこの人こそが、おそらくビスマルクにとってある意味で最強の政敵だった。
ビスマルクは28年間宰相の地位にあったが、彼の任免権は常にウィルヘルム1世が握っていた。議院内閣制ではないので、議会が宰相を罷免出来ないということだ。皇帝に対してのみ責任を負うという立場だった。つまりビスマルクは28年間ウィルヘルム1世に支持され続けたということだ。アウグスタ王妃はどちらかというと自由主義的な立憲君主制を理想としていたらしく、ビスマルクの姿勢とは事あるごとに対立する。ビスマルクを宰相に任じたとき、ウイルヘルム1世は妃にわびたと言われている。
政党の党首や、他国の政治家が相手であれば、陰謀をめぐらせて失脚させるくらい朝飯前のビスマルクだったが、王妃となると勝手が違う。しばしばウィルヘルム1世を手なずけて反対派を一掃する挙に出たビスマルクだが、王妃を失脚させるわけには行かなかったということだ。
王妃が薨去したのは1890年1月7日だ。政敵がせっかくこの世を去ったというのにビスマルクはそのおよそ2ヵ月後3月20日に宰相を罷免される。
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