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2012年10月14日 (日)

ビスマルクの肉声

米国ニュージャージー州でビスマルクの肉声が収録された蝋管が発見されたと新聞に載った。たしか2月3日の朝刊だった。発明王エジソンの実験棟内から木箱入りで見つかったらしい。

1889年10月蓄音機の宣伝のためにパリ万博を訪れたエジソンの助手が、ドイツにも足を伸ばしてビスマルクの肉声を収録していたという、話は伝わっていたが肝心な蝋管が長らく行方不明だった。録音場所はおそらくフリードリヒスルーだ。新聞にはハンブルク近郊の自宅と書かれているが間違いない。このとき既にウィルヘルム1世はこの世に無く、それを継いだフリードリヒ3世もなくなっており、若いウィルヘルム2世が皇帝の座にあった。ビスマルクは新皇帝と折り合うのに苦労を重ねていた時期。75秒の間にドイツ語の歌とフランス国歌も録音されている。ビスマルクは皇帝との確執が原因で1890年3月18日に解任されているから、最後に一花咲かせた感じだ。もし解任後だったら元宰相の許に収録に出向いたかどうか怪しい。現役のドイツ帝国宰相の肩書きはエジソン側にとっても貴重なものだったに決まっている。

さらに気になるのがその時期。エジソンの蝋管と言えばブラームスも録音が残されていることは割と知られている。その録音は1889年12月2日とされている。ビスマルクの収録から2ヵ月後、今度はウィーンでブラームスを録音したことになる。エジソンの助手ワンゲマンによる収録だが、上記のニュースでいう「エジソンの助手」はワンゲマンである可能性が高い。

ブラームスは、ビスマルクと並ぶドイツの顔だったと解し得る。蓄音機の宣伝である以上、そこそこのネームヴァリューのある人物を狙ったに決まっている。

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