遅ればせの植民地
ビスマルクは国内財界からの植民地獲得要請にもなかなか首をたてに振らなかった。国内の安定がこそが優先で、植民地にまで手が回らなかったのだ。そもそも1871年のドイツ帝国成立の時点で、世界のめぼしい陸地は列強による植民地化が終わってしまっていた。それでも1873年ウィーンの株価暴落に始まる不況で、国内からは悲鳴が上がる。製品の販売先たる植民地を求める声に折れる形で、英国の顔色を伺いながらの船出だった。1884年4月に最初の植民地、南西アフリカを獲得した。現ナミビアだ。やせた砂漠ばかりの土地で英国など列強が興味無しと放置した地域。以下ビスマルク在任中に獲得した植民地を列挙する。
- 南西アフリカ(現ナミビア)
- 東アフリカ(現タンザニア)
- ザンジバル(現タンザニア)
- トーゴ
- カメルーン
- ビスマルク諸島 1885年植民地化。もちろん鉄血宰相にちなむ。
- マーシャル諸島
- 独領ニューギニア
第一次大戦後にはこれら全部を失うことになるものの人口で1400万人、面積で日本の7倍程度。人口3億人で地球の地面の2割を有する大英帝国にとっては誤差にも等しい領域だから、ドイツ帝国の安全保障上の影響はない。最初の植民地獲得からおよそ2年でこれだけを獲得したのだが、植民地維持のための経費は、利益の6倍に達するという大赤字だったという。植民地維持には莫大な経費がかかる。本国との通商路の確保のための強大な海軍力も必要だ。植民地における異民族支配も神経質な上に金もかかる。
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