まるで他人事
バイエルン州北部に古くからの名高い温泉地バートキッシンゲンがある。古くはプロイセン領だったが、ナポレオン戦争の混乱後はバイエルン王国に属した。欧州の王侯貴族に人気があるセレブなリゾート。遠くロシアからトルストイ、ツルゲーネフなども訪れた。だがとりわけ1864年の夏は華麗であった。
6月から7月にかけてロシア皇帝アレクサンドル2世夫妻、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世夫妻が、それぞれ偽名を使って滞在した。ロシア皇帝はボロディンスキー伯爵夫妻、オーストリア皇帝はホーエンエルブス伯爵夫妻という具合。欧州随一の美貌と噂されるオーストリア皇妃エリザベートはバイエルン出身だからある意味里帰り。一方のロシア皇妃マリア・アレキサンドロヴナもダルムシュタットの出身だから気分は里帰り。このとき40歳のはずだが、こちらも相当な才色兼備で、このとき以来ルートヴィヒ2世との文通が始まった。
ホスト役はこのとき即位後3ヶ月のルートヴィヒ2世だ。ロシア、オーストリアの両皇帝と、バイエルン王が一堂に会するという華麗な夏なのだが、1864年6月といえばプロイセン・オーストリア同盟とデンマークがシュレスヴィヒホルシュタインを巡る戦いの最中だった。天下分け目のアルゼン島上陸作戦が6月29日で、首都コペンハーゲンに殺到する直前にデンマークが降伏したのが7月の初頭だった。バートキッシンゲンに集った3人のうちオーストリア皇帝は当事者なのに、まるで他人事だ。
いやいや「他人事」など揶揄すること自体、素人丸出しかもしれない。デンマーク戦争では共同したプロイセンとオーストリアだが、近い将来の衝突は明らかだ。デンマーク戦争がどう決着しようとも、ロシア・オーストリア・バイエルンの君主が一同に会するという外交上の意味は大きい。この三カ国が同盟に踏み切るなら、たちまちプロイセン包囲網が完成する。ビスマルクに気づかれたらえらいことだから、皇帝2人は偽名を使ったのかもしれないのだが、数十名のお供を連れての滞在だから、隠し通すのは難しかったと思う。
1866年に起きた普墺戦争では、バイエルンこそオーストリア側についたものの、ロシアはプロイセン寄りの中立を貫いた。
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