統一のし過ぎ
普墺戦争に勝ったのち、普仏戦争にいたるまでの間、ビスマルクはどうも統一をし過ぎないように注意していた節がある。外的が侵入して来た場合は一致団結するが、平時はお互いが自由で干渉しあわない小領邦の集合体くらいを理想としていたといわれている。
あまり結束しすぎるとプロイセンという国自体がドイツに埋没してしまうリスクに気付いていたと言われている。ドイツが小領邦の連立でいられるには、フランスやオーストリアと事を構えないことが大切で、外交や武力で巧みにバランスを取るのが理想と考えていた。巧みな外交によってそれにはある程度成功していたが、国内における統一の世論が高まりすぎてしまったようだ。
「プロイセン主導によるドイツの統一」の気運が次第に高まって行く。ブラームスもまたその世論を形成した大衆のうちの一人であった。
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