無害通行
大雑把に申してクリミア戦争は、英国とフランスがロシアと戦った戦争。終了間際になってオーストリアもロシアに参戦したが、プロイセンは中立を貫いた。普墺戦争の10年前だし、ビスマルクも表舞台に登場していないこのタイミングで、プロイセンは英仏露に比べればまだまだ小粒だった。
フランスは格下のプロイセンに要求する。「ロシアに攻め入りたいからオタクの領土を通らせてくれ」と。軍隊が通過するのを黙認してくれということを軍事外交用語で「無害通行」という。プロイセンは断固拒否する。この要求を呑むことはフランスと一緒にロシアに攻め込んだのと同義になってしまう。対露中立を放棄することに他ならない。フランスに侵攻されるリスクも覚悟で拒否するのだ。ここでロシアに売った恩が、のちのちのプロイセンひいてはドイツ外交の基本「対露友好」の基礎となる。
時は流れて第一次大戦前夜。シュリーフェンプランに導かれたドイツは、フランスを最短時間で叩くために、ベルギーに対して「無害通行」を要求する。ベルギー国王は「ベルギーは道じゃない。国だ」と叫んで徹底抗戦を国民に呼びかける。だからベルギーは、第一次大戦で敗れたドイツに対して、断固として賠償請求することになる。
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