ハインリヒ・フォン・シュテファン
ドイツ郵便の父。ハプスブルク家ご用達のタクシス家から郵便事業接収した際、ビスマルクの片腕としてタクシス家との交渉にあたった人物。ドイツ帝国成立と共にドイツ帝国郵便の総裁になった。日本では前島密、英国ではローランド・ヒルが有名だがドイツではこの人。
ベルリン市内地下にエアシューター網を張り巡らしたりアイデア豊富な人だったが、1874年に諸国に呼びかけて万国郵便連合を創設した。国境をまたぐ郵便のアイデアが当時としては斬新だった。日本の加盟は1877年で23番目、つまりオリジナルの22カ国の次ということになる。
森鴎外の「独逸日記」にはいたるところに「家書」という単語が現れる。東京に遺した家族からの手紙のことだ。そりゃあもうしょっちゅうで、いちいちそれを日記につけていた鴎外が、これを楽しみにしていた証拠だ。万国郵便連合に加盟していた恩恵ともいえる。
さて、この人が没したのは1897年4月8日。ブラームス没の5日後ということになる。
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