徴兵制度
19世紀後半の欧州では、戦争と言えば陸戦だった。だから重要なのは陸軍の兵力。原則として小銃で武装した歩兵をより多く集めた方が勝つという仕組み。軍隊の強さは若年男子の人口に比例してしまう。
1806年ナポレオンに蹂躙されたプロイセンは、軍隊強化の改革に乗り出す。その主眼が徴兵制だった。20歳以上の男子全員の入隊を義務化し、2年間の訓練ののち7年~17年の予備役に回す。常備軍20万だとして、いざと言うときには予備役の召集により100万の軍勢をかき集めることが出来る。シャルンホルストによって導入された短期現役制という。
これに対するのが長期現役制。全員徴集ではない。徴兵検査などによって世代の2割程度を入隊させる。その代わり10年間の現役生活とするというものだ。フランスなどが採用していた。人口で負けているプロイセンがフランスに勝てた理由の一つである。
20歳の男子全員に兵役義務があるということだ。
デュッセルドルフのシューマン邸を訪ねたブラームスは20歳だった。20歳と5ヶ月である。なのにブラームスの伝記を隅から隅まで読んでも、ブラームスが徴兵にかかったという記述は見かけない。自由ハンザ都市ハンブルク出身のブラームスは、プロイセンの徴兵制度の対象外だったと思われる。
不思議なことに、日本語で伝記が書かれるような著名作曲家でプロイセン出身者がいない。メンデルスゾーンはブラームスと同じハンブルク出身だし、シューマンはザクセン出身だ。彼らの伝記にも、徴兵制度の存在をうかがわせるものはない。
興味深いのはシューマン夫妻の次男フェルディナンド。1849年ザクセン王国のドレスデンで生まれた彼は21歳のとき1870年7月に普仏戦争が勃発し出征するが、10月には負傷して帰還するものの、治療にと投じられたモルヒネ中毒に苦しむことになる。彼は確かにプロイセン生まれではないものの、父ロベルトが没した翌1857年8歳のときに一家でベルリンに転居しているから、20歳になったときはベルリンに住んでいた。だから徴兵されてしまったに違いない。
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