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2012年11月28日 (水)

オーストリアの復讐

普墺戦争中のケーニヒスグレーツの戦いについて、負けてもいない第三者のフランスが「サドヴァの屈辱」と称したことは既に述べた。当事者のうち勝者のプロイセンは「弱腰外交」にも見える巧みな外交でフランスの動きを封じた。

しからば敗者オーストリアはどうなったのだろう。

1930年代、南ドイツでヒトラーが台頭した頃、首都ベルリンでは笑えないジョークが広まった。「えっヒトラー?オーストリアの復讐だろ」というものだ。若干の解説が要る。オーストリア出身のヒトラーが大ドイツ主義に基づく侵略思想を掲げて台頭したことが、普墺戦争で敗れたオーストリアの復讐だと言うわけだ。

1932年7月20日ドイツ宰相は、プロイセンの内閣を全員罷免した。プロイセンはドイツの直轄領とされ、プロイセンの息の根は完全に止る。この時にプロイセン側の大規模な抵抗が無かったことが当時も今も議論のタネになっている。もっと大事なことはこれによりドイツ共和制が骨抜きになったことだ。

ブラームスがあと50年遅く生まれてこなくて良かったと思う。

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