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2012年11月 7日 (水)

鴎外のアーセナル

長男や私は欧州のサッカーに親しんでいるから、アーセナルと言えば英国プレミアリーグに所属するロンドンのあの名門クラブを思い出す。明治の文豪森鴎外が英国アーセナルのサポーターだったという話ではないが、小ネタを一つ。

「独逸日記」の1887年10月5日の記事。ウィーンを訪問した鴎外は市内の軍事施設を見学する。その中に「武庫」が出てくる。その武庫の後ろには「Arsenal」と添えられている。これがまさにあのロンドンのアーセナルと同じ綴りだ。そのつもりであれこれ辞書を引くと「Arsenal」は、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語において皆同じ意味だった。すなわち「兵器工場」もしくは「兵器庫」を意味する。イタリア語であっても語尾に「e」が付与されて同じ意味になる。

いざ戦争と言う段になって、予備役に召集がかかる。これが「動員」である。このとき馳せ参ずる予備役たちはあらかじめ決められた師団に集まって、そこで武器を支給される。だから師団があるような大きな都市には、必ず武器庫があった。

英国ロンドンの名門クラブであるアーセナルの前身は、王立兵器廠の従業員で組織されたチームだった。王立兵器廠つまり「ロイヤルアーセナル」サッカークラブの創設は1886年であるから、鴎外のドイツ留学の時期に重なる。

一方同じ独逸日記の1885年10月17日の記述によれば、鴎外がドレスデンの武器庫を訪れたことが判るのだが、こちらには原文のスペルが添えられていない。事実上こちらもアーセナルであった可能性が高い。ウィーンのレンヴェクにあったアーセナルの前を1度くらいはブラームスも通ったことはあると考えられる。

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