鴎外の見たスポーツ
鴎外の「独逸日記」に現れるスポーツを一覧化する。
- 踏氷の戯 1885年1月29日ライプチヒ。「踏氷を観た」という記述についで「男女氷履を穿き、手を携えて表面に遊戯す」とある。これは現代のスケートだ。鴎外は「Schlittschuhfahren」というスペルも併記する。ライプチヒ郊外の池での話。
- 九柱戯 1886年2月8日ドレスデン。円錐戯会の創業式に臨んだことが判る。円錐戯会には原文「Kegelclub」と添えられている。これはモーツアルトの室内楽にもその名を残すケーゲルシュタット九柱戯だ。ボウリングに似た球技。1886年6月7日の記述によれば、鴎外もプレイしたことが判る。
- 撞球戯 1885年5月29日ベルリン・カフェバウアーにて。本文記述には単に「球技を為す」としか書いていないが、場所がカフェだと明記されているから、自動的にビリヤードだと判る。「撞球戯」という単語は1885年12月25日、1885年9月5日、1886年11月16日にも出現する。特に1885年9月5日の記事から鴎外本人がこれをプレーしたことも判明している。鴎外はビリヤードの入門書「Das Billardspiel」という小冊子を持っていた。
- 打球戯 1885年8月27日。「午後打球戯を為す」と書いてある。この「打球戯」は種目が特定できない。「球を打つスポーツ」であることは間違いなさそうだ。野球、テニス、バレーボール、卓球、ゴルフ、ポロ、クリケットなど候補はたくさんある。ヒントはこの日付だ。この前後鴎外はザクセン軍の演習に参加している。この日は陣中泊だった。ドイツ3部作のひとつ「文づかい」は、この演習の経験を土台に書かれている。その「文づかい」の中にクリケットが現れる。主人公がクリケットをプレーしたが思うに任せなかったことが取り入れられている。おそらく打球戯はクリケットだと思う。
- 水泳 1886年9月5日 シュタルンベルク湖畔レオニーの記述。「水浅き処に家建つ。床無し。婦人の遊泳するところなり」とある。当時女性の水泳は一目につかぬよう衝立を張り巡らせていた。その習慣の目撃証言になっている。
- 海水浴 1885年8月23日。友人のトーマスがリューゲン島ザスニッツの浴場にいるので手紙を出したとある。「浴場」は「海水浴場」だ。リューゲン島のザスニッツには1876年夏にブラームスが滞在し、第一交響曲の構想を練ったところ。ドイツでは有名な避暑地で海水浴のメッカだった。もちろんブラームスも海水浴をしたことが、ヘンシェルによって証言されている。
- 角てい 字が打てない。「角」偏に「底」という字。1886年7月30日。シュタルベルク湖畔で、日本人の連れと相撲をとった。
- 競争 かけっこだ。相撲と同じ1886年7月30日。仲間と競争を為す。鴎外は負けたけれど相撲と違って頭痛にはならなかったという。
なかなか面白い。これだけの字数を費やして一番言いたかったことは、サッカーが無いということだ。ドイツの古いクラブはその発生を19世紀に遡るのだが、鴎外はこれを日記に残していない。
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