旧古河家庭園
東京滝野川に旧古河家庭園がある。もともと陸奥宗光の所有だったが、彼の次男が古河市兵衛の養子になった縁で、古河家のものとなった。古河市兵衛は鉱山の開発で名を成し、足尾銅山も同家の所有するところである。1832年生まれだからブラームスとほぼ同時代の人。銅の需要を掘り起こすために彼が目をつけたのは、電機事業だった。ドイツのトップメーカージーメンス社と急速に接近する。
念願の合弁にこぎつけたのが二代目潤吉だった。1921年のことだ。合弁によって生まれた新会社の名前は「古河」の「ふ」と「ジーメンス」の「じ」を組み合わせたといえば、今なお存続する大企業だとわかるハズだ。
ジーメンスと日本の関係で名高いのは1914年におきたジーメンス事件。海軍高官に渡ったリベートが発覚し総理大臣の辞任に発展した疑獄事件。海軍無線電信所船橋送信所の設置に伴う、無線機器一式の発注に便宜を図るためのリベートだったという。日米開戦を意味する「ニイタカヤマノボレ」もここから発信された。ここは我が家に近い。跡地の公園にも遊びに行ったことがある。現在も道路が円を描いているのが特徴だ。
コメント