嫡男の結婚
ビスマルクの長男ヘルベルト42歳の結婚話だ。お相手はウィーンのホヨス伯爵令嬢マルガリータ22歳。結婚式の会場はウィーン。ビスマルク家総出の盛儀になる。既に政界を引退していたとはいえビスマルクの威光は衰えていない。あろうことか皇帝フランツ・ヨーゼフ1世との会見まで別にセットされた。これにはドイツ皇帝ウィルヘルム2世がさすがに不快感を表明し、キャンセルされるが、ウィーン市民はビスマルク一家を熱烈に歓迎した。
式は1892年6月21日。いつものように5月中旬には避暑のためイシュルに発っていたから歓迎の人並みにブラームスがまぎれていた可能性はゼロだが、一連のゴタゴタは彼の耳にも入っていたと思われる。式の9日前6月12日には姉のエリーゼが亡くなっているから、ビスマルクどころではなかったかもしれない。
さてこの2人に長男が生まれたのが1897年9月25日ブラームスが没しておよそ半年後だ。名前をオットー・クリスチャン・アルヒバルト・フォン・ビスマルクという。オットー・フォン・ビスマルクと呼ばれているから紛らわしい。キリスト教民主同盟所属の政治家で、1975年に亡くなっている。
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