普墺戦争のたられば
ケーニヒスグレーツの戦闘一度の大勝で、普墺戦争は事実上決着した。これによりドイツ語圏の盟主がプロイセンに移った。オーストリアが普墺戦争に勝つような戦い方はなかったのだろうか。
プロイセンは、鉄道の輸送力を十分に利用して、動員可能な兵員のおよそ8割をケーニヒスグレーツに集中する作戦に出た。ケーニヒスグレーツで会戦が起きるということを前提にした作戦だ。オーストリアは、プロイセンが準備万端のところにまんまと乗り込んだという形だ。あくまでもベルリンへの侵攻が目標だから最短距離をたどらざるを得ない。
プロイセンの王ウイルヘルム1世は、伝統あるハプスブルク家に弓をひくことを最後まで、躊躇した。開戦には同意したものの先制攻撃を禁じた。そこを逆手にとってオーストリア軍は、わなにかかってケーニヒスグレーツに集結すると見せかけて、そのまま北上してシレジア地方を占領する。ブレスラウの占領を目標にするということだ。この地域は当時ドイツ最大の工業地帯で、マリアテレジアの時代まではオーストリアだった。
ウイーンを急襲されないようにしつつブレスラウを守れば。やがてフランスが仲裁にしゃしゃり出る。ベルリンを攻略できないとはいえ、シレジア地方を押さえて引き分けにもちこめれば、限りなく勝利に近い。
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