必然と偶然と
普仏戦争勝利を受けたドイツ帝国の成立1871年1月18日である。この日プロイセン王ウィルヘルム1世が、パリ・ベルサイユ宮殿鏡の間で、ドイツ皇帝に即位した。この日付1月18日というのは、実は縁起を担いだ結果である。
きっちり170年遡った1701年1月18日、ケーニヒスベルクで、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世は、晴れてプロイセンにおける王フリードリヒ1世になった。プロイセン王国の成立である。
ドイツ帝国成立の認証式の日取り決定には、プロイセン王国成立170周年の記念日が意図的に選ばれた。認証式はまさに国威発揚の場だから、ありとあらゆる事項が総動員で利用された。フランス人たちは、もちろんオーストリアやバイエルンの関係者にとっても、内心面白くないに決まっている。おそらくビスマルクの意向が反映していたと思われる。
そして、それらとは全く関係のない奇遇が一つ。ドイツ帝国成立から88年後の1959年1月18日こそが、私の両親の結婚記念日になっている。そして長男の私は翌年の1月24日、フリードリヒ大王と同じ誕生日に生まれた。
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