執念の仕業
第一大戦の講和条約を一般にベルサイユ条約と言う。パリ・ベルサイユ宮殿で講和会議が開かれたからだ。1919年に締結されたのだが、ここにも昨日同様の必然がある。
正式に内容が確定したのが6月27日だったのだが、この講和会議が始まったのが1919年1月18日だった。ベルサイユ宮殿鏡の間で1871年にドイツ帝国が成立した日だ。この日がそこから170年遡ったプロイセン王国成立の日だったことと合わせてフランス側の受けた屈辱は深くて大きかった。ドイツの敗戦処理を話し合う講和会議がその1月18日に始まったのを偶然とみなしては人が良すぎるだろう。これは完全にフランスの仕返しだ。
さらに6月27日の確定に先立って、条約の内容がドイツ側に内示された日を調べて愕いた。1919年5月7日だった。こちらは執念ではなくおそらく偶然だ。
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