セカンドの注意力
記事「ソラソミファソ」の重要な続き話。音形としての「ソラソミファソ」が曲中いたるところに音高や音価を変えて現れると書いた。今日はその興味深い一例について述べる。
上図はピアノ五重奏曲第三楽章。両ヴィオリンのピチカートが始まっているのが18小節目である。ヴィオラが「タッカ」のリズムの中で「ソラソミファソ」を埋め込んでいるのにはすぐに気がつく。第一ヴァイオリンに注目いただきたい。ピチカートの重音ながら上の音はキッチリと「ソラソミファソ」のラインをなぞっているように見える。ところが5つめのピチカートが「C音」になっている。「ソラソミファソ」を完全にトレースするならここは「F音」でなくてはならない。この7つのピチカートの中で、他の6つは全部弦楽器中の最高音であるのに、ここだけはセカンドに最高音を譲っている。丸で囲んだセカンドの「F音」だ。この「F音」がもし第一ヴァイオリンにあったら、完璧な「ソラソミファソ」になっていたはずなのに。
セカンドヴァイオリンの立場になってみる。実はセカンドこの楽章冒頭から延々と休みが続いていた。このピチカートこそが最初の出番だった。大きな4つ振りの4拍目から恐る恐る合流してみると第一ヴァイオリンが旋律だったといって、やれやれどっこいしょとなっては困る。5番めのピチカート「F音」だけは「ソラソミファソ」の音形を構成する重大な音だ。
ブラームスの意図は不明。この箇所の再現に相当する105小節目では「ソラソミファソ」が「シドシソラシ」に音高を変えて現れ、何とセカンドが輪郭を描く。このときは5番目の音だけを誰かにゆだねることもない。何故提示部においてのみこのような措置が採られたのか。
長い休みだったセカンドの注意力が試される。ブラームスがセカンドの目覚まし代わりにと埋め込んだトラップに違いない。娘よ心せよ。
昨日の14時頃の愛車のメーター表示。ここを逃すとずっとお目にかかれない。「1833」は、ブラームスの生年であり、かつボロディンの生年でもある。
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