三帝の年
「三帝」という言葉には注意が要る。「3人の皇帝」という意味は不変だが、使うタイミングによってメンバーが代わる。
「三帝会戦」はアウステルリッツの戦いだ。フランス、オーストリア、ロシアの皇帝が一同に介したからこう称されている。フランス皇帝ナポレオンの圧勝。
ドイツのミリタリーマーチに「三帝行進曲」がある。これはドイツ帝国成立後の話。「独墺露」三国協商の成立を祝賀する意図。だからこの場合ドイツ皇帝、オーストリア皇帝、ロシア皇帝だ。
「三帝会戦」「三帝行進曲」が3名の皇帝に関係する言い回しだが、実はもう一つ別の用法があった。
1888年ドイツ帝国初代皇帝ウイルヘルム1世が崩御した。フリードリヒ3世が即位したが、3ヶ月で急死した。ただちにウイルヘルム2世が即位したので、その年ドイツ帝国は3人の皇帝をいただいていたことになる。それが「三帝の年」の由来である。森鴎外の帰国は同年7月だから、彼もまた三帝の年の経験者ということになる。
その年ブラームス55歳。
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