まったりの仕組み
話はまだまだ続く。ブラームスのピアノ五重奏曲の第3楽章が実質4拍子である話。これ自体はスケルツォではよくある話。ベートーヴェンが交響曲にスケルツォを導入した頃からの決め事だ。「1小節を1拍と感じる高速4分の3拍子」が実質4拍子なのはそのとき以来の伝統だから、どや顔で言及するほどのことはない。むしろ4分の2と8分の6のめまぐるしい交代を柱とするこのスケルツォが、やはり実質4拍子になっている点に面白味がある。そうした中1小節だけ浮いた2拍子をしのびこませたブラームスのいたずらに嬉々として言及したところだ。
さてその実質4拍子はトリオにも受け継がれる。
ハ長調に転ずるトリオは「ソドミレファミ」と幅広に歌い出される典型的ブラームス節だ。冒頭の「ソド」こそがおいしさの素だ。旋律冒頭の4度跳躍はおいしい旋律の巣になっている。第一交響曲フィナーレの歓喜の歌を思い出すといい。その4度跳躍によって小節線を跨ぎ「ド」が強拍になっていることで拍節的にも和音進行的にも磐石感が増す。
ところが本日話題のトリオは、旋律こそ「ソド」の4度跳躍で立ち上がり、かつここで小節線を跨ぎはするのだが、大きな4拍子として見た場合に「ド」は、最強拍としての1拍目になっていない。最強拍は先の「ソドミレファミ」で申せば「レ」の上に来る。和音的には「C」ではなくて「G/C」となる。このトリオが持つ柔らかな感じは、こうした拍節構造にも起因している。その後弦楽器によって同じ旋律が提示されるけれども、この拍節構造は必ず維持される。
見かけ上小節線を跨ぐ「ソ→ド」が実は最強拍ではないというリズムのズレが、この中間部全体を貫く肩の力の抜けた柔らかさの源泉だ。
さらにだ。その立ち上がりの「2拍前」のピアノにも「ソド」がある。こちらは大きな4拍子で数えても「4→1」に相当する部分、主部の立ち上がりに2拍先行するフェイクにも見える。このあたりの曖昧を味わうのも一興だ。
昨日は長女19歳の誕生日。記事が立て込んでいてそれに深々と言及する余裕がない。
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