前衛
クラウゼヴィッツの「戦争論」を調べたくて探していたら、よい本に出会った。PHP研究所刊行、兵頭二十八訳の「戦争論」だ。950円という価格が魅力的なのだが、それ以上に内容がすばらしい。とかく難解な「戦争論」が平易に読み下されている。ときおり挿入されるコラムが充実していて、不足しがちな周辺知識を効率的に補える。訳文本文とコラムの字体が変わっているのも親切だ。
内容に深入りするとブラームスにも音楽にも関係がない話になってしまうが、一部を紹介する。
数万の軍に長距離移動を強いる場合、司令官の視界が限られているから、本隊がいきなり奇襲を受けないように、小部隊を本隊の前に先行させるべきと説く。行軍1日分の距離を先行させろというのだ。本隊のいわば触覚代わりに先行させる小隊を「前衛」と呼ぶらしい。フランス語で「アヴァンギャルド」と言われてみて納得した。
「戦争論」全体に音楽の要素なんぞ皆無なのだが、「アヴァンギャルド」には心当たりがある。「前衛音楽」だ。本来の軍事用語上の意味に照らせば「その時代の音楽と一線を画しつつも、未来の音楽を先取りしている音楽」くらいの意味合いかと合点した。「その時代の音楽と一線を画すこと」と「未来の音楽を先取りしていること」の両立が必須だ。なるほどそうすれば本隊に先行する前衛のイメージにピタリと重なる。
しかし音楽において現実は厳しい。その時代の音楽と一線を画することはともかく、未来の音楽の先取りが難しい。行軍の場合は、目的地が明らかだから、本隊は前衛の後ろをついて行くが、音楽の場合は本人の自覚は「前衛」のつもりでも、誰も追随しなければ単なる「異端」になってしまう。音楽の行く末を正確に予見するのは困難だ。気のせいか、音楽における「前衛」は、現代の音楽と一線を画することだけで成立し、未来の先取りまでは求められていない気もする。
ブラームスの言葉を思い出す。「未来の音楽に興味は無い」「未来に残る音楽を書きたい」
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