喧嘩の原因
イタリア旅行に3度同行し、スイス・トゥーンの滞在でも世話になったスイスの作家ヴィトマンとは、1888年に絶交寸前の喧嘩をした。
原因は政治。ヴィトマンは共和的な考えの持ち主であるのに、ブラームスは保守なので、元々一触即発なのだが、お互いがその話題に触れぬことでバランスが保たれてきたのだが、このときは違った。ドイツ皇帝ウィルヘルム1世の崩御、あとを継いだフリードリヒ3世も3ヵ月後になくなった。若きウィルヘルム2世が登場し、方向転換が図られる。即位間もないウイルヘルム2世の演説をヴィトマンが「国粋的過ぎる」と批判したことがキッカケで行き違いが起きた。
共通の知人の仲裁で絶交には至らなかったが、この年限りで夏の滞在地にトゥーンが選ばれることはなくなる。
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