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独逸日記

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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2013年1月31日 (木)

塩街道

生活必需品の塩を運ぶ道。人の営みがあるところ世界中に存在する。もちろんドイツにもある。南部やオーストリアの岩塩産地から各地に塩が運ばれた。重たくて運ぶのが難儀な塩の輸送には出来るだけ水運が使われたが、やむなく陸上輸送されることもあった。

現在では観光街道にもなっているのが、製塩地リューネブルクからリューベックにいたる100kmの塩街道だ。「Altesalzstrasse」という。ハンブルクへの運搬にはエルベ川がそのまま使えるのだだが、バルト海地方への運搬を考えると積み出しの港はリューベックの方がいい。運河が開削される前は陸路で運ばれたということだ。

2013年1月30日 (水)

ザルツカンマーグート

「Salzkammergut」と綴る。観光立国オーストリアの屋台骨を支える大景勝地だ。モーツアルトの生地ザルツブルクからブラームスゆかりの保養地イシュルにかけて広がる地域だ。1862年にブラームスは父を連れてこの地方を旅行した。1箇所の滞在ではなくあくまでも旅行だ。

地名の冒頭に「Salz」がある。それもそのはずで、今でこそ大観光地なのだが、同時に塩生産の大拠点でもあった。ハル、ハルシュタット、ハライン、ライヒェンハル、ザルツブルク、ザルツァッハ川などそれらしき地名が意味ありげに密集する。

2013年1月29日 (火)

Mayerling

ウィーンの南西およそ30kmにある街。1889年1月29日オーストリア皇太子ルドルフは、当地にある狩の館で、17歳の伯爵令嬢とピストル自殺を遂げた。謎の多い事件で暗殺説もある。ウィーンを揺るがす大事件だから当然ブラームスの耳にも入っていたに違いない。真相の解明は手に余るとして別の疑問がある。

この綴りをカタカナに転写する時、最後の「g」は濁るのだろうか。どうも濁って「グ」としているケースが多い。語尾の「g」を濁らないのはドイツ語の約束と心得ているし、大抵その約束が守られているのだが、どうもこれだけは「マイヤーリング」と書かれていることが多い。不審である。

2013年1月28日 (月)

地名語尾「塩」

昨日の記事「無塩」で鴎外にからんで「塩」と「地名」の接点をクローズアップした。実は昨日の記事は大きな転換点。今日からしばらく「塩」に言及する。

ドイツ語で「塩」は「Salz」という。これを語尾に従える地名がある。シューマンの故郷ツヴィッカウに近い「Neuensalz」だ。ライン沿岸のコブレンツの近くには、そのものズバリの「Salz」という地名がある。一方その変形「salza」もドレスデン東方に「Neuensalza」として実在する。

南部に行くと「sulz」に変化する。地名語尾「sulz」「sulza」「sulze」は、その通り律儀に南部に現われる。時折「u」がウムラウトすることもある。

さてさて、さらに事態を面白くしてくれるのが「Hall」だ。中世に使われていた古高ドイツ語では、「塩」のことを「Hall」と言う。ヘンデルの生地として名高い「Halle」は、北部ドイツでは貴重な古くからの製塩地である。地名語尾「halle」または「hall」は、ドイツ南部やオーストリアに分布する。「salz」が組み込まれた地名よりも命名のタイミングが古いと推定出来る。

そう言えば昨日1月27日はモーツアルトの誕生日。生まれたのは「Salzburg」だ。

2013年1月27日 (日)

無塩

「無塩」と申せば「本来塩の含まれるものから塩分が抜かれた状態」を指す言い回しと解して間違いあるまい。「無塩バター」などよく見かける。塩は人体に無くてはならない成分であると同時に料理の味付けの基本でもある。「塩梅」などの言葉からもうかがい知れよう。

森鴎外の「独逸日記」に興味深い記述を発見した。

1885年8月28日。ザクセン軍の演習を見学した鴎外はこの日ネルハウという街に入る。その夜「村劇」を観た。村の演劇というニュアンス。これに出演した女性について鴎外が述べる。

「皆無塩なり」

無残な注がふられている。曰く「容姿の醜いこと」だと。鴎外の造語ではなくて、れっきとした中国古典からの引用だ。塩抜きが味気なさに連なり、そこからの類推でと無理やり解釈してはならない。出典は中国の地名らしい。

2013年1月26日 (土)

旅の交点

私が延々と独逸日記に執着する理由の一つに今日言及する。

昨年3月次女のドイツ公演を追いかけたドイツ旅行で、長男とともにドイツの地に足跡を刻んだ。その足跡が鴎外の足跡とかぶっていやせぬかと思いつめたせいだ。下記のような我々の旅程と鴎外のドイツ滞在との交点に辿り着きたい一心だった。

  1. フランクフルト
  2. レヴァークーゼン
  3. ケルン
  4. デュッセルドルフ
  5. ボン
  6. ザンクトゴアハウゼン
  7. ローテンブルク
  8. ニュルンベルク
  9. バンベルク
  10. レーゲンスブルク
  11. フュルト

我々の足跡はこれらの街にしか残っていない。上記全て鴎外が訪問した記録が無い。惜しいのはケルン。マルセイユに上陸してパリを経由してベルリンを目指した鴎外は、ケルンを通過したが列車を降りていない。ニュルンベルクもまた列車で通過しただけで降りていない。

諦めかけていたところで、光明。上記10番のレーゲンスブルクは、ミュンヘン在住中の鴎外がベルリンへ出張する際の経由地として言及される。1887年8月9日の記述。朝7時半にミュンヘンを出た。途中レーゲンスブルクで列車を降りてビールを飲んだと書かれている。彼はレーゲンスブルクで一瞬とはいえ列車を降りていた。ビールの売り子がミュンヘンのカフェにいた知り合いのウェイトレスだったから特記しているのだ。

我々親子は、代理店の設定にない行動を旨としたから、ニュルンベルク午後の自由時間に、レーゲンスブルク行きを企てた。おかげで鴎外との交点を確保した。

2013年1月25日 (金)

鴎外の足跡

鴎外のドイツ留学は、その居住地により4つに分割できる。古い順にライプチヒ、ドレスデン、ミュンヒェン、ベルリンだ。国で申せば「ザクセン」「バイエルン」「プロイセン」になる。ちゃんと下宿を構えたのが4つの街。ベルリンでは2度転居している。それではその4都市以外で鴎外が宿泊した街を以下に列挙する。

  1. マルセイユ
  2. パリ
  3. ムルデの東 演習見学の際、いくつかの小村に宿泊。
  4. ヴュルツブルク
  5. カールスルーエ
  6. ウィーン
  7. レオニー シュタルンベルク湖のリゾート
  8. シュタルンベルク 湖畔のリゾート
  9. アムステルダム 帰路立ち寄って宿泊した。
  10. ロンドン 同じく帰路立ち寄って宿泊。

このほかは夜行列車の中や、演習中の露営があった。そうブラームスの故郷ハンブルクは全く蚊帳の外だ。訪問・宿泊はおろか通過もしていない。独逸日記でたった1箇所ハンブルクが言及されるが、「知人がハンブルクから手紙をよこした」という1887年1月2日の記述だけだ。

2013年1月24日 (木)

フリードリヒ大王

プロイセン王フリードリヒ2世の尊称。ドイツの地図を見ていると「Friedrich」を冠した地名が多い。もちろん他の名前だって地名になっているが頻度において群を抜いている。例によって愛用のドイツ道路地図の索引に現われる実例を以下に示す。

  1. Friedrichroda チューリンゲン州。所有格「s」が抜けているが「フリードリヒの開墾地」でよかろう。
  2. Friedrichsaue ザクセン・アンハルト州。「フリードリヒの水辺の草地」
  3. Friedrichsbrunn ザクセン・アンハルト州。「フリードリヒの泉」または「噴水」
  4. Friedrichsdorf ヘッセン州。「フリードリヒの村」
  5. Friedrichsgabekoog シュレスヴィヒ・ホルスタイン州。「フリードリヒ恩賜の干拓地」
  6. Friedrichsgraben シュレスヴィヒ・ホルスタイン州。「フリードリヒの墓」あるいは「堀」
  7. Friedrichshafen バーデン・ヴュルテンブルク州。「フリードリヒの港」。ボーデン湖岸にあるので辻褄があう。
  8. Friedrichsholm シュレスヴィヒ・ホルスタイン州。「フリードリヒの中洲」
  9. Friedrichskoog シュレスヴィヒ・ホルスタイン州。「フリードリヒの干拓地」
  10. Friedrichsruhe メクレンブルク・フォルポンメルン州。「フリードリヒの休息」。ビスマルクの屋敷跡がある。
  11. Friedrichsstadt シュレスヴィヒ・ホルスタイン州。「フリードリヒの街」
  12. Friedrichsthal ブランデンブルク州。「フリードリヒの谷」
  13. Friedrichsthal チュービンゲン州。「フリードリヒの谷」
  14. Friedrichsthal ザールラント。「フリードリヒの谷」
  15. Friedrichswalde ブランデンブルク州。「フリードリヒの森」 
  16. Friedrichswerth チュービンゲン州。「フリードリヒの宝」
  17. Friedrich-Wilhelms-Lubke-koog シュレスヴィヒ・ホルスタイン州。「Lubke」(uはウムラウト)が不明だが、フリードリヒ-ウイルヘルムと続くのはプロイセン王では割と見かける。

この17例が索引掲載の全てである。全て「名前+有意語」という形になっている。上記7番と14番を除いて北ドイツ(マイン川以北)に集中する感じがする。私が地名に現われるフリードリヒをプロイセンと結びつける理由もまたこのあたりにある。全部が全部フリードリヒ大王その人と関連するとも思えないが、最有力だろう。

さて本日の主役フリードリヒ大王は1712年1月24日の生まれだ。つまり私と誕生日が同じである。 

2013年1月23日 (水)

シュタルンベルク湖

ブラームスとシュタルンベルク湖の最大の接点はトゥツィングということになる。1873年夏のためにブラームスが選んだ避暑地。南北に細長い湖のほぼ中央の西岸にある。ミュンヘンからの鉄道も通っている。

ブラームスの滞在から13年を経た1886年4月18日に森鴎外は初めてシュタルンベルク湖を訪れる。同年3月9日にミュンヘンに居を構えた鴎外はそれ以降日帰り圏にあるこの湖を頻繁に訪れる。以下にその様子を列挙する。

  • 4月18日 医学生9名とシュタルンベルクまで列車で来て、そこから歩いてアンデックスに出向いた。そこで名高い修道院ビールを賞味した。シュタルンベルク湖は厳密に申せば目的地にはなっていないが、駅前から湖畔はすぐなので一応カウントしておく。
  • 6月27日 「加藤岩佐とウルム湖に遊び、国王及びグッデンの遺跡に弔す」とある。「ウルム湖」はシュタルンベルク湖の別名。「加藤岩佐」は友人加藤と岩佐の2人。実はこの日から丁度2週間前6月13日バイエルン王ルートヴィヒ2世が溺死するという大事件があった。遺体の発見場所はシュタルンベルク湖東岸のベルク城近くの浅瀬で今もってその真相が詮索されている。鴎外はこの事件を独逸日記の6月13日に記述している。2週間後に遺体発見場所を訪れたことは間違いない。
  • 9月2日 友人一人と訪問。国王とその侍医を詠じた漢詩を残しているから、この日もベルク城を訪れたことは確実だが、この日は何故か日帰り。ミュンヘンを発つ友人を駅まで見送るためだった。
  • 9月3日 前日に続いてまた訪れた。今度は単独だ。ミュンヘンを夕方に発つ列車でシュタルンベルクに至り、バイエリッシャーホフに投宿した。
  • 9月4日 日の出の絶景を楽しんだ後、湖畔東側を馬車で南にくだりレオニーに赴いた。
  • 9月5日 シュタルンベルクの宿を引き払ってレオニーの「レオニー客舎」に投宿。シュタルンベルクは汽車の往来も頻繁で、ミュンヘンと同じくらい騒がしいからと理由を添えている。
  • 9月7日  ロットマン丘にハイキング。レオニーの南約1キロの景勝地。
  • 9月8日 またまたロットマン丘。シュタルンベルク対岸の家を数えたとある。およそ2km先の対岸の家が見えたということだ。
  • 9月10日 レオニーから徒歩でアンメルラントを経てアムバッハまで出かけた。片道道10kmの湖畔ハイキング。目的地アムバッハは、ブラームスの避暑地トゥツィングのちょうど対岸にあたる。
  • 9月18日 ミュンヘンに戻る。3日から16日間の長逗留だ。
  • 10月23日 友人4人と日帰りでレオニーを訪問。
  • 11月13日 複数の友人とレオニーで1泊。
  • 1887年4月11日 友人3名とレオニーへ日帰り。

いやはやかなりの訪問回数である。特にレオニーはかなりのお気に入りだ。これらの滞在は後に「うたかたの記」となって結実することになる。

    2013年1月22日 (火)

    天国の門

    「Himmelpforten」という地名が実在する。ブラームスの故郷ハンブルクの西北西約50kmだ。「Himmel」は天国で、「pforten」は「門」だ。あわせて「天国の門」とは恐れ入る。語尾に「pforten」を従える地名は多くないからとても目立つ。地名語尾と呼べるかどうかはともかく、格別のありがたみだから思わず言及する次第である。

    とっておきの地名。どうしても今日公開しておきたい記事。

    合掌。

    2013年1月21日 (月)

    独逸日記地名辞書vol3

    独逸日記地名辞書第3弾。1回目2回目で除外されていた国名を五十音順に列挙する。

    1. アメリカ 「米国」
    2. イギリス 「英国」または「英吉利」
    3. イタリア 「伊太利」
    4. エジプト 「埃及」
    5. オーストリア 「墺国」または「墺太利」
    6. オランダ 「和蘭」
    7. ギリシャ 「希」に難しい漢字が続くため打てない。
    8. ザクセン 「索遜」「薩遜尼」の2通りの標記が混在する。
    9. スェーデン 「瑞典」
    10. スイス 「瑞西」
    11. スコットランド 「蘇核蘭」
    12. スペイン 「西班牙」
    13. ドイツ さすがにこれら諸国の中では最大の言及頻度。標記は「独逸」で統一。
    14. トルコ 「土耳格」
    15. バイエルン 「拝焉」
    16. ハンガリア 「匈牙利」
    17. フィンランド 「分蘭」ただし「分」には草冠をつける。
    18. フランス 「仏蘭西」または「仏国」という標記。
    19. ブルガリア 国名としては唯一漢字表記なく原文スペルのみ。
    20. プロイセン 「普魯西」または「普魯士」という標記。
    21. ポーランド 「波蘭」という標記。
    22. モナコ 「模拿姑」という標記。
    23. ロシア 「魯西亜」または「魯国」

    鴎外はこれら国々の名前は漢字で標記するだけにとどめ原文のスペルを添えていない。これが大きな特徴だ。私が国名を別に集約した理由もそのあたりにある。

    2013年1月20日 (日)

    独逸日記地名辞書vol2

    昨日の記事「独逸日記地名辞書vol1」で用いた抽出条件に、いわゆる街中地名語尾「strasse」「gasse」「weg」「platz」「markt」「allee」「brucke」「bahnhof」を除外するという一項があった。昨日の扱った地名数は130少々。1日の記事としては限界に近いため、やむなく分割することにした。その場合のキーとして「街中地名」を選んだ。

    「~通り」「~街」「~広場」「~市場」「~橋」「~駅」などの類。本日は昨日除かれたこれら街中地名を、都市別に収載する。地名に続く日付は「独逸日記」で言及される日付。赤文字はウムラウト。

    <ベルリン>

    1. Altberlin 87/06/15 旧ベルリン地区。
    2. Altmoabit 85/05/27 旧モアビット地区。
    3. Anhalterbahnhof 84/10/18から87/09/16までに5回言及。ベルリンの表玄関駅。
    4. Artilleristrasse 85/05/30と86/02/21の2度。
    5. Austelungspark 85/05/27 公園。
    6. Friedrichkarlufer 87/07/18 河岸。
    7. Friedrichstrasse 86/02/22と88/04/01 通り。
    8. Gesundbrunnen 87/06/04 泉。
    9. Greifswaldestrasse 87/11/16 通り。
    10. Grosseprasidentenstrasse 88/04/01 宮殿通り。
    11. Haacke'schesstrasse 88/04/01 通り。
    12. Invaridenstrasse 85/05/27 通り。
    13. Karlsplatz 84/10/12と86/08/09 広場。
    14. Karlsstrasse 84/10/15と88/04/01通り。
    15. Klosterstrasse 87/10/15 通り。
    16. Leipzigerstrasse 87/08/07 通り。
    17. Luisenstrasse 87/05/08 通り。
    18. Marienstrasse 87/04/18 通り。
    19. Reichenbergerstrasse 87/12/02 通り。
    20. Schadowstrasse 84/10/12 通り。
    21. Scharnhorststrasse 84/10/19と87/08/19 通り。
    22. Schellingstrasse 88/04/01 通り。
    23. Unter der Linden 87/08/02 名高いベルリンの目抜き通り。
    24. Vossstrasse 84/10/12 通り。
    25. Zimmermannstrasse 84/10/19 通り。

    <ドレスデン>

    1. Altstadt 85/10/12 旧市街。
    2. Augstusbrucke 85/10/13 橋。
    3. Carolasee 85/05/13 湖。
    4. Grossebrudergasse 85/10/14 小路。 
    5. Glosseklostergasse 85/10/13 小路。
    6. Landahausstrasse 85/12/12 通り。
    7. Losnitzstrasse 85/12/01 通り。
    8. Neustadt 85/11/14 新市街。
    9. Ostraallee 85/12/15 街路。
    10. Pillnitzerstrasse 85/12/13 通り。
    11. Postplatz 85/12/11 通り。
    12. Schlossstrasse 86/01/26 通り。
    13. Seestlasse 86/01/11 通り。
    14. Waissenhausstrasse 85/12/12 通り。
    15. Wilsdruferstrasse 85/12/15 通り。

    <カールスルーエ>

    1. Herrenstrasse 87/09/19 通り。
    2. Karlfriedrichstrasse 87/09/18 通り。

    <ライプツィヒ>

    1. Bayrishebahnhof 85/06/10と85/08/22 バイエルン方面駅。
    2. Dredenerbahnhof 85/03/21 駅。ドレスデン方面駅。
    3. Katharinstrasse 85/04/29 通り。
    4. Kramerstrasse 85/09/28 通り。
    5. Liebigstrasse 84/10/23と84/10/24 通り。
    6. Petersteinweg 85/07/30 道。
    7. Peterstrasse 85/12/23 通り。
    8. Reichsstrasse 85/09/30 通り。
    9. Sternwartestrasse 85/12/23 通り。
    10. Sudstrasse 85/07/30 通り。
    11. Thalstrasse 84/10/23 通り。
    12. Zeitzerstrasse 85/07/30 通り。

    <ミュンヘン>

    1. Akademiesstrasse 86/03/25 通り。
    2. Amalienstrasse 86/05/29 通り。
    3. Dachauerstrasse 86/03/10と86/08/18 通り。
    4. Frauenstrasse 86/03/08 通り。
    5. Gartnerplatz 86/03/08 広場。
    6. Glockenstrasse 86/03/08 通り。
    7. Heustrasse 86/03/11 通り。
    8. Landwehrstrasse 86/08/15 通り。
    9. Luitpoldstrasse 86/03/14 通り。
    10. Maximilianstrasse 86/06/13 通り。
    11. Nymphenburgerstrasse 86/03/10 通り。
    12. Residenzstrasse 86/03/10 通り。
    13. Schwanthalerstrasse 86/04/18から86/09/30まで計4回。
    14. Sendlingsthorplatz 86/09/17と86/09/30 広場。
    15. Sonnenstrasse 86/10/04 通り。

    <ウィーン>

    1. Remweg 87/10/04 道。

    <ヴュルツブルク> 

    1. Kaiserstrasse 87/09/17 通り。

    私が詳細な都市地図を持っているのは上記のうちドレスデンだけだが、記載全ての地名が確認できる。他の都市でも地名の保存率は高いと感じると同時に、鴎外の地名標記が大変正確だと確信した。

    2013年1月19日 (土)

    独逸日記地名辞書vol1

    本日は森鴎外の誕生日。これを祝って「独逸日記」に現れる地名を一覧化した。ルールは以下の通り。

    • 国名を除く。イタリア、フランス、ハンガリー、ロシア、プロイセン、ザクセンなど。
    • またいわゆる街中地名語尾「strasse」「gasse」「weg」「platz」「markt」「allee」「brucke」「bahnhof」を除外する。
    • 独逸日記での出現日を青色で記載。
    • 赤文字はウムラウト。

    少々長くなるがアルファベット順に列挙する。

    1. Ambach 86/09/10 シュタルンベルク湖東岸。9月3日から18日までのシュタルンベルク湖畔滞在中に立ち寄る。
    2. Ammerland 86/09/10 シュタルンベルク湖東岸。9月3日から18日までのシュタルンベルク湖畔滞在中に立ち寄る。1873年ブラームスの避暑地トゥツイングの対岸。
    3. Ammersee 86/04/10 シュタルンベルク湖の西にある湖。
    4. Andechs 86/04/10 アムメル湖の辺。独逸日記にはシュタルンベルクから徒歩3時間と書かれている。
    5. Andernach 86/02/22 友人の婚約者の出身地として。ライン川沿いコブレンツの北西およそ20km。
    6. Augsburg 87/04/14 ミュンヘンの北西およそ70kmの都市。離任に挨拶に行ったが軍医総監がアウクスブルクに出かけていた話。
    7. Aussendorf 86/02/27 軍陣衛生学の講演の打ち上げ会場。不詳。ベルリン近郊だと思われる。
    8. Badenbaden 87/09/25 国際赤十字総会の期間中の休暇に訪問。巴丁巴丁と標記される。
    9. Berlin 独逸日記中最多の56回言及。伯林、伯霊府と標記される。帝国の首都。
    10. Bonn 86/07/29 友人の留学先として言及。
    11. Braunschweig 85/11/08 鴎外の軍服がブラウンシュヴァイク風と言われる。ハノーファーの東およそ75km。
    12. Brosen 85/08/29、85/09/01、85/09/05  の3回言及される。ザクセン王国の軍事演習会場。場所不詳。グリンマの東およそ7kmにある「Brohsen」と思われる。
    13. Budapest 86/11/13 友人がブダペストから戻ったと記述。ハンガリーの首都。
    14. Cannewitz 85/09/04 ムルデ東畔の平原で行われたザクセン軍演習に参加した一コマ。ネルハウの東北東およそ4kmの位置。他の隊とここで落ち合った。
    15. Calorasee 85/05/13 ドレスデン市内グロサーガルテンの中にある池。軍医研修会参加のために訪れた初日に散歩。
    16. Cassel 85/09/28 カッセルのこと。昔はCで始まったらしい。ドイツ婦人会の参加者カルム夫人の出身地として。
    17. Charite 85/05/27 ベルリン市内のどこか。地名ではない可能性もある。病理学試験場の所在地。
    18. Chemnitz 85/01/27、85/11/29、85/11/30 ドレスデンの西南西およそ80km。旧カールマルクスシュタット。木越大尉の居住地として言及。
    19. Connewitz 85/07/30、85/08/16 ライプチヒの南5kmヴァイセエルスター河畔の町。
    20. Dachau 86/08/05 ミュンヘンのカフェの気のいいウェイトレス・アンナの出身地。ミュンヘンの北西およそ20km。
    21. Daisenhofen 86/06/06 テーゲルン湖に列車で遊びに行く途中の街。ここにミュンヘン府水道の貯水池があると言っているが単なる通過地。 
    22. Deditz 85/08/31 ザクセン陸軍の演習の途中。
    23. Doben 85/08/31、85/09/05、85/09/07 これも演習の途中。
    24. Drachenfels 86/09/06 友人長松の滞在地。「竜の岩」の意味。
    25. Dresden 言及は30回に及ぶ。ザクセン王国の首都。
    26. Eger 86/08/06 エルベ川支流の名前。
    27. Elbe ドイツを代表する大河。ドレスデンを貫流する。「易北河」として5回言及されている。
    28. Erlangen 86/08/15 ニュルンベルクの北およそ20km。ビールの名産地。
    29. Erzgebirge 85/05/12 ドイツ東南部の山地。ムルデ川の水源として言及。
    30. Firenze 86/12/22 ご存知イタリアのあのフィレンツェ。
    31. Galgenburg 85/08/31 ザクセン陸軍演習での陣地。「磔柱山」
    32. Gastewitz 85/09/04以降9日までに6度言及がある。演習の途中で。
    33. Geneve 87/09/24 87/09/27 計4度の言及。これはもちろんスイスのジュネーヴ。
    34. Genua 87/07/02 こちらは同じくイタリアジェノア。
    35. Gmund 86/06/06 テーゲルン湖畔の街。友人と遊びに来た。
    36. Gohlis 85/05/07、85/06/27 ライプチヒ市街の一地区。
    37. Gottingen 87/11/12 名高い大学都市ゲッティンゲン。
    38. Gottwitz 85/09/08 ザクセン陸軍の演習地。
    39. Greschwitz 85/09/05 ザクセン陸軍の演習地。
    40. Grimma 85/09/6、85/09/11に計3度言及。陸軍演習の中心都市。
    41. Grosshessellohe 86/05/22、86/06/06、87/07/05 ミュンヘンの南12km。テーゲルン湖方面行きの列車はここでイザール川を渡る。
    42. Grottewitz 85/09/03 ザクセン陸軍の演習地。
    43. Haag 85/05/27 オランダのハーグ。
    44. Halle 84/11/01、85/12/24 ヘンデルの故郷のあのハレ。
    45. Hamburg 87/01/02 説明不要ブラームスの故郷だが、鴎外は行っていない。
    46. Haubitz 85/09/01 に2度。これも陸軍の演習で。
    47. Heidelberg 84/11/12を筆頭に6度言及される。名高い大学都市。
    48. Heidhausen 86/12/20 ミュンヘン近郊マーガリン工場の所在地。
    49. Helriegelsgreuth 86/05/22 ここで学生の決闘を目撃する。
    50. Hersingfors 86/03/07 実はこれヘルシンキのこと。
    51. Hohenbaden 87/09/25 バーデンバーデン郊外の古城があるところ。
    52. Ieesewitz 85/09/08 陸軍の演習地。
    53. Isar 86/05/22から87/04/05までの間に5度の言及。ミュンヘンを貫流するイザール川のこと。
    54. Jena 85/04/12 イェーナは友人の居所なので鴎外は行っていない。
    55. Johannesthal 84/10/2485/06/24 ライプチヒ市街の一角。
    56. Karlsruhe 87/09/18,25,28 の3度。国際赤十字の総会開催地。
    57. Kollmichen 85/09/09 陸軍演習の途中で。
    58. Leipzig 84/10/13から86/11/1 の間29回言及。いうまでもなくライプチヒ。
    59. Lenne 85/05/12 ライプチヒ市街の一角。
    60. Leoni 86/09/02から86/11/14にかけて8回言及。シュタルンベルク湖東岸。ルートヴィヒ2世溺死の現場に近い。
    61. Lillienstein 85/05/12 ドレスデン市街から見える山の名。
    62. Lindau 86/09/03 ボーデン湖畔。友人の旅の目的地。
    63. London 84/12/28 英国の首都ロンドン。このときは友人の居所として登場するが、帰国の途中に立ち寄った。
    64. Loschwitz 85/12/06 ドレスデン近郊シラーの旧跡で著名。
    65. Losnitz 85/05/12 ドレスデン近郊ブドウ栽培の北限として言及がある。
    66. Lyon 85/08/19 フランスのリヨン。
    67. Machern 85/08/2785/09/05 陸軍の演習として。
    68. Maffei 86/09/13 旅先で知り合った家族のミュンヘンでの居所。
    69. Magdeburg 87/10/08、87/10/23、87/12/12 の3度。マグデブルク。
    70. Main 87/09/27 マイン川。
    71. Mecklenburg 85/02/13 現在のメクレンブルク州一帯。
    72. Meiningen 86/01/13 第四交響曲初演地で名高いマイニンゲンだが、鴎外は行っていない。舞踏会に招かれたメンバーの出身地の記述に現れる。
    73. Meissen 85/09/06 陶器で名高いあのマイセンだが、全くの別文脈。
    74. Merschwitz 85/09/09 陸軍の演習で。
    75. Mittelwald 86/08/31 友人原田の避暑地。カタカナで「ミッテルワルト」と標記してさらに「Mittelwald」とスペリングが添えられている。注には独墺国境付近の避暑地とある。実はこれ怪しい。
    76. Mittenwald 86/10/09  8月31日と同じ場所だ思われるのだが、カタカナ標記が「ミッテンワルト」になっている。困ったことにここに限ってスペリングの併記がない。現代の道路地図には「Mittenwald」なら独墺国境付近に存在する。ヴァイオリン製作のメッカでもある割と有名な街。鴎外の段階で「ミッテルヴァルト」と「ミッテンヴァルト」が既に混乱していた可能性もある。
    77. Moabit 87/08/17 ベルリンの一角。ユグノーの居住地だった。
    78. Mockern 85/05/12 陸軍の演習地。
    79. Monaco 86/11/06 もちろんフランスのモナコ。鴎外は行っていない。
    80. Mulde 85/05/12から85/09/06 の間に4度言及。エルベ川の支流ムルデ川のこと。
    81. Munchen 84/10/13から87/09/14まで27回言及。バイエルン王国の首都ミュンヘン。
    82. Mutzen 85/09/08から85/09/11までの間に8回言及。陸軍演習の地。
    83. Napoleonstein 85/02/07、85/08/16 ライプチヒ郊外の古戦場。対ナポレオン戦争でドイツが勝った場所。
    84. Nerchau 85/08/28から985/09/06 までの間に6度言及。陸軍の演習地。
    85. Neunietendorf 87/09/16 不明。スペリングの誤記が取り沙汰されている。
    86. Neustadt 85/11/14 ドレスデン市内の一角。劇場の所在地として。
    87. Nurnberg 85/12/27  87/04/15 の2回。列車で二度通過したニュルンベルク。
    88. Nymphenburg 86/07/18 ミュンヘン郊外。バイエルン王国の離宮があった。
    89. Oberhof 87/09/16 国際赤十字総会に行く途中の経過地として。
    90. Oosthal 87/09/25 バーデンバーデン近郊の景勝地。
    91. Oschatz 85/05/12 陸軍演習の地。
    92. Paris 85/08/19 から88/05/14 までの間に4度。フランスの首都。
    93. Plauen 85/09/2885/12/11に計3度。
    94. Pleisee 85/07/25、85/07/30 2度とも友人の滞在地として。
    95. Ragewitz 85/09/03から85/09/12にかけて5度。陸軍演習の要衝として。
    96. Regensburg 86/08/09に2回。ミュンヘンとベルリン間の鉄路。レーゲンスブルクだ。
    97. Reudnitz 85/08/08 ライプチヒ市内劇場の所在地として。
    98. Riesa 85/05/12 ライプチヒからドレスデンに向かう列車の経由地。
    99. Roma 86/12/12 イタリアの首都。鴎外は行っていない。
    100. Rosenthal 85/08/27 ドレスデンにてライプチヒを回想しながら。
    101. Rotteritz 85/09/04 陸軍の演習地。
    102. Rottmanshohe 86/09/07、86/09/08、86/11/14 シュタルンベルク湖畔レオニー近郊の景勝地。
    103. Rummelsburg 87/05/13 ベルリン近郊の湖畔の景勝地。
    104. Saloppe 85/12/03 ドレスデン近郊のエルベ河港。水源地視察の帰路。
    105. Salzburg 86/05/25 あモーツアルトの生地だが友人の出発地として。
    106. Sarka 85/09/04 陸軍の演習。
    107. Sasnitz 85/08/23 リューゲン島の避暑地。友人の滞在地として。
    108. Schaftlach 86/06/06 テーゲルン湖に遊びに行く途中、ここで列車を乗り換えた。ミュンヘンの南およそ45km。グムンド方面行きとの分岐点。
    109. Schmorditz 85/09/03 陸軍の演習地として。
    110. Starnberg 86/04/18から86/11/13までの間に6回。ミュンヘンから日帰り圏の湖畔の街。
    111. Starnbergsee 86/04/18から87/04/11までの間に4回。ミュンヘンの南の景勝地シュタルンベルク湖。
    112. Stettin 87/12/12に2度。オーデル河口の街で現在ポーランド領。友人の旅の目的地として。
    113. Stockholm 86/03/07 スウェーデンの首都。友人の出身地として。
    114. Stralau 87/05/13 ベルリン市水道の水源地視察。
    115. Strassburg 85/03/17から87/10/17までの間に5回。シュトラスブルク(フランス名シュトラスブール)は独仏国境の街。鴎外は行ってないが話の流れで登場する。
    116. Tegernsee 86/06/06 ミュンヘンの南およそ50kmの湖。友人と遊びに行った。
    117. Tharandt 85/12/09から86/03/07までの間に4度。ドレスデン近郊の小都市。友人の旅の目的地として。
    118. Theresienwiese 86/03/1786/10/02。オクトーバーフェストの会場。鴎外の下宿とは指呼の間。
    119. Thubingen 87/10/31 友人の居所として。
    120. Thuringen 87/09/16、87/10/23 国際赤十字総会出席のためカールスルーエに向かう途中で。
    121. Tirol 87/10/13、87/10/21 オーストリアの景勝地だが話だけで行っていない。
    122. Trebsen 85/08/28 陸軍の演習地。
    123. Triest 85/05/07、85/12/24 アドリア海に面するイタリアの港町。鴎外は行っていない。
    124. Veitshochheim 87/09/17 に2度。ヴュルツブルク近郊の小村。
    125. Venezia 86/07/15  86/09/12 もちろんイタリアだが鴎外は行っていない。
    126. Wagelwitz 85/09/07 に2度。陸軍演習にて。
    127. Weimar 86/01/13 名高いワイマールだが、友人の出身地として言及。
    128. Wien 85/03/31から87/11/21までの間に7度。オーストリアの首都ウィーン。
    129. Wolf 86/11/21 ミュンヘン近郊の地名と思われるが不明。
    130. Wurmsee 86/06/13から86/07/30までの間に4度。シュタルンベルグ湖の別名。
    131. Wurschwitz 85/08/30 陸軍演習にて。
    132. Wurzburg 85/03/30から87/09/18までの間に8回。言及は多いが、立ち寄りはカールスルーエの赤十字総会の際の経由地としてのみ。
    133. Zschoppach 85/09/5 陸軍演習にて。
    134. Zurich 86/08/30  86/12/17 スイスのチューリヒだが鴎外は行っていない。

    「陸軍の演習」については記事「ムルデの東」を参照。およそ4年のドイツ留学の間に記した日記に、これほどの量の地名が記されているばかりか全てに原文のスペリングが併記されている。それでいて、それらが正確だというこだわりが嬉しい。

    2013年1月18日 (金)

    十字架会

    鴎外の「独逸日記」、ザクセン軍演習の記述の中、1885年8月28日の記事に現れる。ネルハウという村で劇を鑑賞したあと、部屋に戻るところで鴎外は男に呼び止められ「十字架会」に勧誘された。原文では「Kreuzbruder」という。

    戯れに入会を諾したとある。1マルクを寄付して薄い鉄片の会員証を受け取った。このとき興味深い入会の儀式に言及している。入会希望者は自分の今までの人生における失敗を3つ告白せねばならないとされているのだが、既婚者は2つでよいことになっている。鴎外は「結婚が男にとっての失敗」と看做されていることを面白がっている。同時にこの手のお遊びがドイツ国内にあまねくひろまっていると断じている。

    生涯独身のブラームスなら、人生の失敗を3つ申告したに違いない。

    そして今日1月18日は両親の結婚記念日。父はもちろん私も失敗の申告は2つでいい。

    2013年1月17日 (木)

    ムルデの東

    「独逸日記」の1885年8月27日から9月12日までの間、ザクセン軍の演習に参加した鴎外がその様子を詳しく記録している。ライプチヒ東方ムルデ川東一帯に広がる平原がその舞台。鴎外の4年に及ぶドイツ滞在はほとんどが都会在住だったから、演習に出向いた田舎の光景を大変珍しがっている。

    その17日間に登場する地名を全て列挙する。例によってウムラウトは赤文字。

    <8月27日>

    1. Machern ライプチヒの東およそ16kmの駅。ドレスデンからここまで列車で繰り出した。到着は正午ドレスデンからはおよそ30分の位置。地元有力者の居館に宿泊。

    <8月28日>

    1. Trebsen 宿舎を出た鴎外は午前9時にこの地で予定通り第一大隊と合流。Machernの南東およそ20km。ムルデ川に接す。
    2. Nerchau 午前10時半に同地の宿舎に投ずる。Trebsenの南南東およそ3km。Trebsen同様ムルデ川の畔。しばらくここに宿泊。鴎外はここで十字架会に勧誘される。

    <8月29日>

    1. Brosen Nerchauを徒歩で午前7時に出て9時につく。Nerchauの南およそ5kmだが、現代の道路地図ではBrohsenになっている。ここで演習参加予定の全大隊が集結。

    <8月30日>

    1. Wurschwitz 日曜で演習は休み。Brosen近郊に散歩だが、現代の地図では確認できない。徒歩圏内だと思われる。 

    <8月31日>

    1. Deditz Brosenの北およそ2km。
    2. Galgenburg 仮想敵の陣地がある山。Deditz近郊。
    3. Doben 陣地に同行した婦人の出身地として出てくる。ちくま文庫の注にはライプチヒの東北約30kmの温泉地と書かれているが、大疑問。鴎外の原文は「Doeben」と書かれ「o」のウムラウトである旨強く示差されているが、注においては「Duben」と勝手に読み替えているように見える。愛用の道路地図では、注の言う位置に確かに「Bad Duben」があるけれど鵜呑みは危険だ。スペルの違いを、安易に鴎外の誤記と断じているようで気持ちの良い注ではない。

    <9月2日>

    1. Brosen 8月29日に既出。朝徒歩でここまで来さらにHaubitzへ。
    2. Haubitz 国王来観の演習。午後1時着。Brosenの東南東2km。この地で野営。

    <9月3日>

    1. Ragewitz 午前9時30分、当地に設営された仮設敵陣の襲撃訓練。野営地Haubitzから小さな川にそって東北東に3kmの位置。
    2. Grottewitz RagewitzからNerchauに帰る途中の経由地。Ragewitzの北西2km。
    3. Schmorditz Nerchauに帰る経由地。Grottewitzの西北西3kmのムルデ河畔。

    <9月4日>

    1. Nerchau この日に宿を引き払う。午前6時45分に徒歩で出発。
    2. Cannewitz Nerchauの北北西2kmのこの地で他隊と合流する。
    3. Sarka 合流後Cannewitzの南1kmの当地で敵軍と交戦演習。ただし現代の地図ではSerkaと標記されている。
    4. Gastewitz 正午に当地の宿に投ず。Sarkaの南東およそ2km。
    5. Mutzen 晩餐のためにGastewitzから出かける。Gastewitzの東北東およそ2km。現代の地図ではMutzschenと標記されている。

    <9月5日>

    1. Gastewitz 当地には1泊。
    2. Ragewitz 3日の項に既出。Gastewitzからは南西におよそ3km。南を正面に陣を立てる。仮設敵を演ずる。
    3. Zschoppach ここから発した軍と交戦訓練。Ragewitzの南東およそ3kmの位置。
    4. Brosen 9月2日に既出。Dobenへの経由地。
    5. Greswitz Dobenへの経由地。Brosenの西2km。
    6. Doben 注を鵜呑みにすれば8月31日のDobenとは別の場所であるかと受け取れる。ここに投宿。8月31日に登場したDobenをライプチヒ東北約30kmとした注は誤りだろう。愛用の道路地図でも鴎外の原文通りの「o」ウムラウトになっている。31日のDobenもむしろこちらのDobenだった可能性は低くないと見る。演習地域の地元の有力者夫人が陣中見学に訪れたと見る方がなんぼか自然だろう。校注者の手元の地図にこちらの「Doben」が無かったので、ライプチヒ東北30kmの「Duben」に無理やり当てたのだと思う。他の記述の精度から見て鴎外にスペリングの誤記は考えにくい。
    7. Machern DobenがMachernと似ていると言及。8月27日に既出。

    <9月6日>

    1. Nerchau Dobenでの散策の途中北の方向の川向こうにNerchauが見えたと記述。この日演習はなし。
    2. Grimma Dobenの西3kmの地。日曜に同地のホールで国王主催の晩餐会があり鴎外も馬車で出かける。
    3. Gastewitz 9月5日のGastewitzで招待状を受けたとある。

    <9月7日>

    1. Doben 早朝宿を引き払う。
    2. Wagelwitz Dobenの北東およそ6km。夜明けにDobenを発ってここで交戦演習。
    3. Mutzen 演習を終えてこの地に宿泊。9月4日に既出。Wagelwitzの東南東およそ3km。

    <9月8日>

    1. Gottwitz Mutzenの東1km小湖に接する村で休憩。
    2. Rotteritz GottwitzからIeesewitzへの途上と思われるが確認できず。
    3. Ieesewitz Gottwitzの南南西およそ2km。現代の地図ではJeesewitzと標記。
    4. Mutzen 本日の宿泊地。

    <9月9日>

    1. Mutzen 既出。
    2. Kollmichen 行軍の休息地。Mutzenの南およそ3km。
    3. Merschewitz 場所確認できず。
    4. Gastewitz 既出。
    5. Mutzen 既出。

    <9月11日>

    1. Mutzen 宿を引き払う。
    2. Grimma 行軍の目的地。既出。Mutzenからは南西におよそ20km。
    3. Ragewitz Mutzenからの経由地。既出。この日は露営。

    <9月12日>

    1. Ragewitz Grimmaへの経由地。
    2. Grimma 行軍の目的地。既出。

    以上。見ての通り大変精密だ。鴎外の記述に従って現代の道路地図で探すと、次々と当該地名に辿り着く。魏志倭人伝の記述をもとに邪馬台国の謎解きをする考古学者の気分になれた。現代の道路地図と見合わせながらの探索から彼の記述が大変正確だとわかる。「~itz」という地名語尾が大挙して現れることも特筆してよかろう。鴎外は陸軍の演習への公式な参観者だ。当日の動きは逐一説明され、軍の用意した地図を見ながら、地名のスペリングを忠実に日記に反映しているに違いない。ブラームスと同時代の地名が現代まで高い確率で保存されているということの証明になる。ベルリンやミュンヘンなどの著名な大地名が残存するばかりでなく、道路地図の索引からも脱落するような小字程度の地名もほぼパーフェクトに残っていて嬉しくなる。

    2013年1月16日 (水)

    ヨハニスタール

    「独逸日記」1885年6月24日の記事で、鴎外は「洗礼者ヨハネスの日」について説明する。「Johannistagは古来の祭日なり」と書き起こして詳しく説明する。キリスト教以前に由来する夏至の祭りとも書く。ドイツ中で人々が火を焚くとある。

    これに続いてライプチヒ市内のJohannisthalという地名に言及する。ライプチヒの下宿に近い。ライプチヒを開いたとき砂を掘った跡だという伝承を提示する。1832年に区画整理し公園にしたというところで、不忍池と同じだと言っている。

    地名語尾「thal」は谷で、「tal」と同じなのだが、独逸日記には「tal」が現れない。現代のドイツでは数の上では「thal」より「tal」の方が多くなっている。愛用のドイツ道路地図では、索引12296地名のうち、「Tal」が131箇所で、「Thal」は66箇所で「Tal」が倍も優勢。昔はこの比率が逆だったかもしれないと考えて調べを進めていたらあっさりとカラクリに到達した。

    正書法に関係していた。正書法とはドイツ語を書く際の決まりのことだ。1901年に改訂された正書法で、「Thal」は「Tal」に統一されることになった。鴎外のドイツ日記を含むブラームスの時代は「Thal」だった。鴎外のドイツ日記に「Thal」しか現れないのは当然だ。

    むしろ、正書法が「tal」への統一を打ち出したのに、地名においてはまだまだ「Thal」がまとまった数残っているのが不思議だ。

    2013年1月15日 (火)

    ヒルデスハイム

    「Hildesheim」と綴られる。ハノーファーの南東およそ30kmにある街。地名語尾「heim」の所在地としては北限に近い。たびたび引用しているグリム兄弟の「ドイツ伝説集」下巻の462番にヒルデスハイムの地名起源譚があった。カール大帝の後継ルートヴィヒ敬虔王が、森の中で休息をとった。聖母マリアの首飾りを傍らの木に掛けて休んだが、いざ出立となって、どうしてもそれが取れなくなって困っていると、マリアのお告げがあった。「まもなく雪が降る」「雪の積もった一帯の上に聖堂を建てよ」というものだった。

    程なく本当に雪が降り始めた。ルートヴィッヒ敬虔王が「Hildeschnee」(素早い雪)とつぶやいた。これが訛って「Hildesheim)になったという。

    興味深い話ではあるのだが、残念なことに地名語尾「heim」の説明としては弱い気もする。地名語尾「heim」が「schnee」(雪)からの派生であるということなのだろうか。とりあえず、積雪のおかげで成立した同地の聖母マリア聖堂は世界遺産に認定されている。

    都会は積雪に弱い。雪で大変な目に遭った。

    昨日次女たち参加のジョイントコンサートがあった。県内の高校オケ9つが一堂に会するイベントで、今年が7回目。次女は昨年も参加した。思えばこのとき混成Aオケでトップを弾いた。初めてのトップ経験だった。あれから1年の月日を肥やしに、成長がいちぢるしいなどとニンマリしていたのも初めだけだった。

    参加9校の単独演奏に続いて4つの混成オケの演奏に移るはずが、首都圏を襲った雪の影響で中止。もちろんホールは屋内なのだが交通機関に影響が出始めたため、帰宅の足を考慮してのやむを得ぬ措置。コツコツと練習していた「スラブ行進曲」を披露することが出来なかった。

    一部鉄道が運転を見合わせる中、クルマで帰宅したが、待っていたのは大渋滞。震災の日に2時間半かかった同じ道のりを4時間かけて帰宅。携帯電話が自由に繋がったからよかったものの、クタクタになった。

    大した雨女っぷりを披露してくれた次女と4時間たっぷりコミュニケーション出来たのはよかった。それからボロディンの第一楽章を初めて聴いた。コンクールの練習に没頭する裏で、こちらも形にして見せてくれた懐の深さこそが今日の最大の収穫だ。ベールを脱いだボロディンの第一楽章、挨拶代わり、いきなりの「sul G」連続ダウンボウは圧巻。

    大雪の翌日に、これに言及しないのは「徒然草」あたりに言わせれば野暮の部類。だから鴎外ネタ1日をはずして雪の話。しかも次女のオケネタでもあるという配置の妙。

    2013年1月14日 (月)

    落羽城

    1887年4月15日の「独逸日記」に友人との別れの漢詩が現れる。その中に「落羽城」という表現がある。何とこれはベルリンのことだ。そのすぐ後に自注が振られ、「ベルリンの語源はperlin(抜け落ちた羽)」だと言っている。だから落羽城がベルリンを意味すると自ら説明している。

    ベルリンの語源については諸説あって、スラブ語で「沼地」の意味とか、「熊のいるところ」の意味とかさまざまな説明がなされているが、「落ちた羽」は初耳だった。

    同時にミュンヘンの起原にも触れ、こちらはラテン語の「僧」(Monacus)だと言っている。「僧」起原説は現代の定説に一致するから、「落ちた羽」説にもそれなりの論拠があると思われる。

    今月19日は森鴎外の誕生日だから、それに先立ってドイツの地名に関係する森鴎外ネタをいくつか発信することにした。

    2013年1月13日 (日)

    Feuchtwangen

    ロマンティック街道の白眉ローテンブルクの南南東およそ25kmにある街。カタカナで無理やり標記すれば「フォイヒトヴァンゲン」くらいか。スイスにある「Kussnacht」に匹敵する美しい名前だ。語尾「wangen」は「頬」という意味「Wange」の複数形。「Feucht」は「湿った」あるいは「濡れた」という意味の形容詞。直訳なら「濡れた頬」とでもなるのだろう。「wangen」は人の頬状に緩やかな弧を描く様子の表現とも映るが、「野」(feld)を指すフランケン地方の方言とも言われている。

    頬が濡れるとなるとおそらくその原因は涙。「頬伝う涙」を想像してしまう美しい語感であるばかりか、ローテンブルクに劣らぬとっておきの街並みでもあるという。

    頬伝う涙。

    昨日、次女たちふくだもな五重奏団が、コンクール本番の舞台に立った。同行した母も私も涙。亡き妻との結婚当初の目標「家族でブラームスのピアノ五重奏を演奏する」の代わりに神様が用意した手の込んだ答え。当初の予定は以下の担当。

    • ピアノ 妻
    • 第一ヴァイオリン 長女
    • 第二ヴァイオリン 次女
    • ヴィオラ 私
    • チェロ 長男

    この目論見からはまず最初に妻が離脱。長男がチェロなんぞに見向きもせずに、はなからフェードアウト。かろうじてヴァイオリンを習わすことに成功した長女もやはりバドミントンに走った。残ったのは私と次女だけ。子どもたちの未来の配偶者や私の孫をあてにするにしても、目標の達成は相当苦しかった。唯一残った頼みの綱の次女が、高校オケの門を叩いたところから、逆襲が始まった。コンクール挑戦にあたり仲間と選んだのが他でもないブラームスのピアノ五重奏、しかもストライクゾーンのスケルツォだった。次女が当初の計画通りの第二ヴァイオリンだったのは最早奇跡の域。昨日当初の予定以上の完成度で妻との約束を正式にコンプリートした。サンクスふくだもな。

    昨日流された幾筋かの涙のために。

    2013年1月12日 (土)

    お盆のファンタジー15

    お盆でもないのに昨夜遅くいきなりブラームスがやってきた。驚く私を見ながらボソボソと事情を話し始める。寒いから中へ入れと招き入れると一息ついた表情。

    3日前ブラームスからメールが入った。ふくだもな五重奏団のコンクール本番を聞きに行くという内容だった。それがどうやら1日間違えて早く来てしまったらしい。笑いたいのをこらえて「1日遅く間違えなくて良かったね」と慰めた。一泊させてくれという。私が一泊でも二泊でもOKだというと、やっと笑った。

    「実はとっておきの土産話があるんだ」とブラームスが切り出す。「一日早く着いたのでコンクールはやっておらず、どうしたものかと途方にくれてお嬢さんの学校に出向いたら、そこでコンサートをしていたんだ」と興奮気味。

    辻褄はあう。コンクール前日に当たる昨日、部活動の最後にコンクール出場の2組が、仲間たちを前に、壮行のための演奏を披露した。ブラームスはこのことを言っているのだろう。小さなホールの2階席中央で聞かせてもらったと自慢げだ。

    以下ブラームスとのやりとり。

    「演奏者以外の乙女たちは、パイプ椅子に座って演奏を待っていた。昨年4月のニュルンベルク公演で見かけた顔も半分くらいいたね。」とドヤ顔で切り出すブラームス。

    やがてドヴォルザークの弦楽セレナーデが始まった。6時15分を少し過ぎた頃だ。「これをやるならとドヴォルザークも急遽呼んだ」と言っている。「今からで明日の本番に間に合うのか」と言うと、「あんたらなら、シベリア経由の飛行機で12時間だろうが、わしらは天国経由だから数分だよ」と笑っている。

    「で、五重奏は?」と私がせかすと、「また明日も聞けて嬉しい」とポツリ。何だか元気が無いので「出来が悪かったか?」と恐る恐る尋ねると、ただ首を横に振る。「乙女たちに曲が気に入ってもらえて満足だ」「曲を選んでもらえて嬉しい」と付け加えた。

    「演奏に制限時間があるのだろう?」とブラームス。「1組5分」という私の説明を聞いてうなずく。あのスケルツォは、誰がカットしても難しい。どう切り貼りしてもどこかにストレスが残るものだ。そしてカットのストレスよりも演奏者のストレスは数段深い。暗譜への影響は深刻だよ。けれどもそうしたストレスをかえってエネルギーしてくれていた気がすると、なんだか妙にしみじみと語ってくれた。

    「それにしても凄いピアニストだな」と話を展開させた。初期の室内楽のピアノパートについては、シューマン夫人からも「殿方でないと弾くのがしんどい」といつも言われていると。「ほらニュルンベルクでバッハを弾いたお嬢さんを覚えているかい」と私。「ああ覚えているよ」「それが彼女なのか?」とブラームスが目を丸くする。

    「あなたからも審査員席に念を送ってくれ」と言うと、「賞の色なんぞどうでもよかろう」「なんでもいいからとにかく美しく頼むよ」と3杯目のジョッキを空けながら、私をたしなめる。やりとりは、こんな調子で深夜に及んだ。

    いよいよ本日コンクール本番。

    2013年1月11日 (金)

    接吻の夜

    おかしなタイトルだ。スイスに「Kusnacht」(uはウムラウト)という地名がある。「kus」は英語でいう「kiss」で、「nacht」は「夜」、合わせて「接吻の夜」とでも解したい。「接吻」の意味だとするなら「kus」の「s」は重複させねばならないが野暮なことは言いっこなしで。

    スイス・チューリヒ湖畔の街で、くつろぎまくるブラームスの様子がフェルデナント・ポールの手紙からも読み取れる。それにしても美しい地名だ。「nacht」(夜)が語尾に据えられた地名というのもたいそう珍しい。

    物珍しさにいろいろ調べているとお宝情報に出会った。グリム兄弟が著した「ドイツ伝説集」下巻の518番「ウイルヘルムテル」だ。ロッシーニのオペラでも名高いあの話だ。言いつけの通り我が子の頭上のリンゴを射落としたというのに約束を守らない代官から、ウイリアムテルが逃げる。夜通し走りに走ってたどり着いたのが湖畔の街「キュスナハト」とされていた。

    さてチューリヒ湖畔のキュスナハトから南西に30kmくらいのところにも「キュスナハト」がある。ルツェルンの東10km。こちらは嬉しいことに「Kussnacht」だ。「s」が重なる正真正銘の接吻だ。

    2013年1月10日 (木)

    瀬を早み

    百人一首、崇徳院の御製。

    瀬を早み岩にせかるる滝川の割れても末に会はむとぞ思ふ

    亡き父の得意札でもあった。ここで言う「瀬」は川の浅いところ。徒歩で渡ることも可能なくらいの浅さ。反対語は「淵」となる。で流れの緩やかなものを平瀬といい、流れの急な場合は早瀬といったらしい。

    徒歩で渡れる浅瀬はドイツ語では「furt」だった。フランクフルトはマイン川の浅瀬を意味する地名だった。古いチェコ語では同様な場合に「Prahy」という。これがなんと首都「プラハ」の語源としての通説になっている。プラハはモルダウ川の浅瀬を起原に発達した街ということになる。話が上手すぎて眉唾だ。

    2013年1月 9日 (水)

    フランクフルト

    地名語尾「furt」は、「人が歩いて渡れるほどの浅瀬」という意味だ。「渡し場」というと少しニュアンスがズレる。「渡し舟」を想像すると原義からはずれてしまう。

    グリム兄弟の著した「ドイツ伝説集」下巻455番に、フランクフルトの起源が書いてあった。

    西暦793年、ザクセン族との戦いに敗れて退却するフランク族カール大帝が、マイン川まで逃げてきた。何とか対岸に渡りたいと、徒歩で渡れる場所を探していると一頭の雌鹿が現れ、一行を案内したおかげで無事にマイン川を越えて帰還することが出来た。この時以来その場所が「フランクフルト」と呼ばれたという。

    フランクフルトの正式名称は「Frankfurt am Main」だ。「マイン沿岸のフランクフルト」とでも解される。大事なことは渡河の方向だ。フランクフルトがマイン川の北岸である以上、ここから南に向けて川を渡ったと推定できる。川を渡ることが無事の帰還を意味するということは、マインの南側にカール大帝の戻るべき本拠地があったということに他ならない。

    フランクフルトでマイン川を渡った後に西進し、ライン川を渡ると、王宮のあったインゲルハイムに到達出来るが、ライン川をどうやって渡るのかの方が心配になる。

    2013年1月 8日 (火)

    地名語尾ランキング

    ドイツFALK社製の「REISEATRAS」は20万分の1の道路地図だ。末尾の索引が充実していてありがたい。その数12296。索引だからユーザーが簡単に目標の地名を探し当てることが出来るよう、数字とアルファベットを駆使してページとおおよその位置が特定できる仕組みだ。それらを全てエクセルに取り込んでデータベースにした。「~で終わる」をキーにしてソートすると、簡単に地名語尾リストが出来る。12000件余のデータ入力は簡単ではないがこれがなかなかの優れものだ。地名語尾出現頻度頻度ランキングを発表する。

    1. dorf  784箇所。6.38%。デュッセルドルフなど。
    2. bach 小川 654箇所。5.32%。
    3. heim 集落 545箇所。4.43%。マンハイムなど。
    4. ingen 土地 471箇所。3.83%。マイニンゲン、ゲッティンゲンなど。
    5. berg  466箇所。3.79%。バンベルク、ニュルンベルクなど。
    6. au 水辺 383箇所。3.11%。ツヴィッカウ、ブレスラウ、パッサウなど。
    7. hausen 集落 382箇所。3.11%。
    8. itz  308箇所。2.50%。ケムニッツなど。
    9. burg  273箇所。2.22%。ハンブルク、レーゲンスブルクなど。
    10. ow  260箇所。2.11%。

    ブログ「ブラームスの辞書」で継続中のアラビアンアイト計画最後の企画「地名語尾」の開幕にあたり、基礎資料としての記事を取り急ぎ公開する。ブラームスや音楽には関係ない記事も数多く発信するが、ドイツにはドップリと浸っている。私の趣味の柱「地理と歴史」という意味ではストライクゾーンの記事たち。今後佳境にさしかかる次女たちのオーケストラネタとの拮抗は悩ましい限りだが、挑戦する。

    ブラームスが当たり前のように踏みしめていた土地に付着した名前。ブラームスも自然に口にしていたに決まっている地名の数々を「ブラームスの辞書」風に追求する半年になる。

    2013年1月 7日 (月)

    地名語尾に挑む

    話は2010年8月に遡る。当時は初の年間企画「ドヴォルザーク」の大詰めだった。その中でオペラ「ルサルカ」に関連して記事「水辺語尾」を発信し、地名語尾「au」にまつわる話を展開した。それを調べる過程で地名語尾の持つ面白さを実感した。次々と調べを進めるうちに無視し得ぬ数のネタが溜まり始めた。ただちに公開を中止してネタの堰き止めに入った。

    あれから2年半。このほど成果を公開することとする。

    次のテーマは「地名語尾」である。そしてこれがアラビアンナイト計画最後のテーマだ。会期末まで6ヶ月を残して最後のテーマに突入するということだ。つまりそれほどの大型企画。

    2013年1月 6日 (日)

    ビスマルク特集総集編

    ビスマルク特集総集編。

    1. 2012年04月25日 ビスマルク特集
    2. 2012年04月26日 ナポレオン とりあえずトランプ。 
    3. 2012年04月27日 ラインラント ルール工業地帯の話。
    4. 2012年04月28日 プロイセン ドイツとの区別の話。
    5. 2012年04月29日 悪運 フリードリヒ大王の話。
    6. 2012年04月30日  マリー・フォン・タッデン 道ならぬ恋。
    7. 2012年05月01日 一姫二太郎 ビスマルクの子どもたち。
    8. 2012年05月02日 ドレスデン革命 ブラームス15歳の頃。
    9. 2012年05月03日 モルトケ将軍 軍神はモーツアルトがお好き。
    10. 2012年05月04日  参謀本部 ドイツ特産。
    11. 2012年05月07日 ビスマルク暗殺未遂事件 ブラームス33歳の日に。
    12. 2012年05月08日  関税同盟 ブラームス生誕の翌年。
    13. 2012年05月09日 4カ国語 ビスマルクの語学力。
    14. 2012年05月10日  オルロフ侯爵夫人 宰相就任前のひととき。
    15. 2012年05月11日 1862年 宰相就任とウィーン進出。
    16. 2012年05月12日 憲法の不備 ビスマルクの剛腕。
    17. 2012年05月19日  デンマーク戦争 3連戦の緒戦。
    18. 2012年05月20日 普墺戦争 敵国の首都にいたブラームス。
    19. 2012年05月21日  本陣の場所 両軍の陣があったところ。
    20. 2012年05月22日 ケーニヒスグレーツ 決戦の場所。
    21. 2012年05月23日 サドヴァの屈辱 フランスから見た普墺戦争。
    22. 2012年05月24日  何故ケーニヒグレーツか オーストリアの誤算。
    23. 2012年05月25日  ニコルスブルク 歴史的な転換点。
    24. 2012年05月26日 弱腰外交 オーストリアへの寛大な措置。
    25. 2012年05月29日 ピアリッツの密約 ナポレオン3世との口約束。
    26. 2012年06月01日 外交の達人 対フランス一直線。 
    27. 2012年06月02日 あわただしい初演 ピアノ五重奏の初演。
    28. 2012年06月03日 ヘッセン大公国 分断された国。
    29. 2012年06月04日 転職の理由 ヨアヒムの職歴。
    30. 2012年06月05日 サリカ法 女性の王位を認めない古法。
    31. 2012年06月07日 マイニンゲン公国 ブラ4ゆかりの。
    32. 2012年06月08日  北ドイツ連邦 ドイツ帝国の雛形。
    33. 2012年06月09日 グループリーグ プロイセンの大躍進。
    34. 2012年06月10日  選挙日程 ケーニヒスグレーツ当日の投票。
    35. 2012年06月13日  廃絶王基金 ビスマルクの工作資金。
    36. 2012年06月14日  ドイツレクイエムの位置 統一の機運。
    37. 2012年06月15日 モムゼン 反ビスマルクの政治家・文学者。
    38. 2012年06月16日 下賜金 普墺戦争勝利の論功行賞。
    39. 2012年06月17日 天下三分の計 ワーグナーの慧眼。
    40. 2012年06月18日 赤壁 普仏戦争の緒戦。
    41. 2012年06月19日 アルデンヌの森 普仏戦争の要衝。
    42. 2012年06月20日 2人の息子 ビスマルクの息子も負傷した。
    43. 2012年06月21日 ノイシュヴァンシュタイン城 プロイセンの経済的援助。
    44. 2012年06月22日 造営費 普仏戦争出費との比較。
    45. 2012年06月23日  入城料 ノイシュヴァンシュタイン城の一般公開。
    46. 2012年06月24日  ビスマルクとワーグナー ビスマルクの奇策。
    47. 2012年06月25日 ビスマルクとルートヴィヒ2世 たった一度の会見。
    48. 2012年06月26日  ワーグナー代 バイエルン王室の出費。
    49. 2012年06月27日 バイロイト音楽祭 招待を受けながら欠席。
    50. 2012年06月28日  後援券 ワーグナーの金策。
    51. 2012年06月29日 バイエルン王の普仏戦争 かわいそうなフランス。
    52. 2012年06月30日 噴水代 ベルサイユ宮殿で噴水を。
    53. 2012年07月01日 侍従武官デュルクハイム クーデター前夜の奮闘。
    54. 2012年07月02日 暗殺の濡れ衣 ルートヴィヒ2世の急死と陰謀の噂。
    55. 2012年07月03日 路易二世 ルートヴィヒ2世のこと。
    56. 2012年07月04日 断鵠山城 ノイシュヴァンシュタイン城のこと。
    57. 2012年07月05日 鴎外とブラームス 意外接点がない。
    58. 2012年07月06日 誕生を祝う記事 ビスマルクの誕生日を祝う市民。
    59. 2012年07月07日 欧州情勢の分析 鴎外の視線。
    60. 2012年07月08日 戦論 鴎外の戦争論翻訳。
    61. 2012年07月09日 戦争論 クラウセヴィッツの名著。
    62. 2012年07月10日 クラウゼヴィッツ 戦争論の著者。
    63. 2012年07月15日 エムス電報事件 普仏戦争の発端。
    64. 2012年07月18日 私事都合 離婚成立と宣戦布告。
    65. 2012年07月30日 鉄血忌 ビスマルクの命日。
    66. 2012年07月31日 ビスマルクの墓所 フリードリヒスルー。
    67. 2012年08月01日 国葬じゃない 遺族の意向。
    68. 2012年08月02日 鏡の間 ドイツ皇帝戴冠式。
    69. 2012年08月03日 プロイセンの落日 統一とともに始まる斜陽。
    70. 2012年08月04日 シューンハウゼン ビスマルクの領地。
    71. 2012年08月05日 ポムメルン ビスマルク第二の故郷。
    72. 2012年08月06日 内政の課題 ドイツ帝国成立後の内政。 
    73. 2012年08月10日 中央党 ビスマルクの政敵。
    74. 2012年08月11日 カノッサの屈辱 教皇と妥協しないという比喩。
    75. 2012年08月13日 三権分立 諸邦統一の飴とムチ。 
    76. 2012年08月14日 議会との折り合い 揚げ足取りにご立腹のブラームス。
    77. 2012年08月15日 直間比率 帝国の憂鬱。 
    78. 2012年08月16日 私営国際連盟 ビスマルク体制の磐石。 
    79. 2012年08月17日 シュリーフェン 第一次大戦の引き金。
    80. 2012年08月18日 小モルトケ 跡継ぎの定番。
    81. 2012年08月19日 右翼 名誉ある位置。 
    82. 2012年08月20日 元帥 元帥位を有する上級大将。 
    83. 2012年08月21日 4階級特進 異例の出世。
    84. 2012年08月22日 師団長のための独和辞典 軍隊用語の基礎知識。
    85. 2012年08月23日 ドイツの3トップ 軍隊のフォーメーション。
    86. 2012年08月24日 ボルシア プロイセンの擬人化。
    87. 2012年08月27日  岩倉使節団 明治の欧州視察。
    88. 2012年08月28日 ビスマルクと岩倉使節団 驚きの演説。
    89. 2012年08月29日 遭遇の可能性 トゥツゥイングの夜。
    90. 2012年08月30日  万国公法 国益あっての国際法。
    91. 2012年08月31日 モルトケ演説 ビスマルク演説の読み下し。
    92. 2012年09月01日 後進ヨーロッパ 独露のこと。 
    93. 2012年09月02日 大ロシア ドイツ外交のポイント。
    94. 2012年09月04日 戦艦ビスマルク 無理を承知の脱線。
    95. 2012年09月05日 甲板上のムシデン 初陣の象徴。 
    96. 2012年09月07日 ゴート人の港 戦艦ビスマルクの母港。
    97. 2012年09月08日 シャルンホルスト これまた巡洋艦。
    98. 2012年09月09日  グナイゼナウ シャルンホルスト級2番艦。
    99. 2012年09月10日 ローン ドイツ帝国建国の功臣。
    100. 2012年09月13日 鴎外の命名 長男はOtto.
    101. 2012年09月14日 ビスマルク特集100本 とどいてしまったか。
    102. 2012年09月21日 ブラームスと火山 一応歴史。
    103. 2012年09月23日 大噴火 ブラームス在世中の火山噴火。
    104. 2012年09月26日  クラカタウ ニュースになった噴火。
    105. 2012年09月27日 炎涼の変 噴火の影響としての異常気象。
    106. 2012年09月28日 低温と長雨 トゥーンの異常気象。
    107. 2012年09月29日 日本赤十字社 国際赤十字への加盟総会と鴎外。
    108. 2012年09月30日  クリミア戦争はシューマンの入院時期と重なる。
    109. 2012年10月01日 無害通行 格下相手の恫喝。
    110. 2012年10月02日 銅剣銅矛文化圏 ザクセンとフランク。
    111. 2012年10月03日  ドイツ統一 子どもたちとのすれ違い。
    112. 2012年10月04日 フランク王国の統一 1000年の和解。
    113. 2012年10月05日 統一のし過ぎ ビスマルクの憂鬱。
    114. 2012年10月06日 アウグスタ王妃 ビスマルク最大の政敵。
    115. 2012年10月07日 長寿BMW 建国の英雄たち。
    116. 2012年10月08日 歌劇ビスマルク あったらいいな。
    117. 2012年10月09日 徴兵制度 短期現役制のマジック。
    118. 2012年10月10日 軍医の出番。
    119. 2012年10月11日 郵便連盟 ドイツの郵便統合の第一歩。 
    120. 2012年10月12日 事業譲渡 タクシス家の足元を見る。
    121. 2012年10月13日  ハインリヒ・フォン・シュテファン 帝国郵便総裁。
    122. 2012年10月14日 ビスマルクの肉声 蝋管に残された貴重な録音。
    123. 2012年10月16日 ヨーロッパ お気に入りのエピソード。
    124. 2012年10月17日 まるで他人事 華麗な避暑地。
    125. 2012年10月18日 日墺修好通商条約 締結記念日。
    126. 2012年10月19日 ビスマルク演説集 ブラームスも読んだ。
    127. 2012年10月20日 フォン・ビューロー 第4代帝国宰相。
    128. 2012年10月21日  公侯伯子男 貴族の序列。
    129. 2012年10月22日 ザクセン・ラウエンブルク公国 バルト3公国。
    130. 2012年10月23日 貴族のvon 貴族のしるし。
    131. 2012年10月24日 ユンカー エルベ以東の小領主。
    132. 2012年10月25日 ユンカーの起原 ある仮説。
    133. 2012年10月26日 貴族のzu もう一つの貴族の印。
    134. 2012年10月27日  マッセンバッハ 共存するvonとzu。
    135. 2012年10月29日  遅ればせの植民地 ビスマルク時代の植民地。
    136. 2012年10月30日  ノイポンメルン島 現ニューブリテン島。
    137. 2012年11月01日 メッサーシュミット 創業地バンベルク。
    138. 2012年11月02日 維廉第一世 ウィルヘルム1世の鴎外標記。
    139. 2012年11月03日 ゼダン祭 普仏戦争にからむ陸軍の祝日。
    140. 2012年11月04日 産業革命とサッカー 祝ナビスコカップ2連覇。
    141. 2012年11月06日 鴎外の見たスポーツ サッカーがない。
    142. 2012年11月07日 鴎外のアーセナル ウィーンの武器庫。
    143. 2012年11月08日 鴎外のコンサートホール 鴎外が言及するホール。
    144. 2012年11月09日 ランゲンベック祭 フィルハーモニー登場。
    145. 2012年11月13日 企業売上高ランキング ドイツ企業上位37社。 
    146. 2012年11月20日  旧古河家庭園 古河とジーメンス。
    147. 2012年11月21日 ツァイス 顕微鏡のパイオニアと鴎外。
    148. 2012年11月22日  職場オケ クルップのオーケストラ。
    149. 2012年11月23日 必然と偶然と 建国の日に。
    150. 2012年11月24日 執念の仕業 ヴェルサイユ講和会議の開幕日。
    151. 2012年11月25日 嫡男の結婚 長男ヘルベルトご成婚。
    152. 2012年11月27日  小ドイツ主義 オーストリアの排除。
    153. 2012年11月28日 オーストリアの復讐 ベルリンではやったジョーク。
    154. 2012年11月29日 普墺戦争のたられば ベルリンなんかに頓着せずに。 
    155. 2012年11月30日 遅参 普墺戦争に決着をつけた遅参。
    156. 2012年12月01日  第三帝国 第三あっての第一第二。
    157. 2012年12月02日 三国干渉 ブラームスの外交センス。
    158. 2012年12月03日 ドイツ三部作 鴎外のデビューシリーズ。
    159. 2012年12月04日 三帝の年 ドイツは3人の皇帝を頂いた。
    160. 2012年12月05日 第四帝国 EUのドイツ。
    161. 2012年12月06日 プルシアンブルー 北斎の藍。
    162. 2012年12月07日 ボロジノの戦い モスクワ防衛のポイント。
    163. 2012年12月09日 前衛 軍事用語「アヴァンギャルド」。
    164. 2012年12月11日 喧嘩の原因 ヴィトマンとの喧嘩。
    165. 2012年12月12日 青少年のための普仏戦争史 ヴィトマンの証言。
    166. 2012年12月13日 ブライヒレーダー 帝国の金庫番。
    167. 2013年01月01日 ビスマルクいろはガルタ 起死回生の力技。
    168. 2013年01月02日 カルタの大穴 まさかビスマルクとは。 
    169. 2013年01月04日 ZADP倶楽部 ビスマルクファンクラブ
    170. 2013年01月05日 歴史主義 賢者は歴史に学ぶ。
    171. 2013年01月06日 本日のこの記事。

    2013年1月 5日 (土)

    歴史主義

    正確な定義なんぞ出来ないのに大好きな言葉。おこがましいけれどもブログ運営の基本方針。ずっと取り組んできたビスマルクの言葉の中で、とりわけ愛されているのが「賢者は歴史に学ぶ」という言葉。彼が言うとカッコいい。

    一方ブラームスも「歴史主義者」と称されるときがある。「過去500年のドイツ音楽がブラームス作品に結晶している」とさえ言われる。

    2009年2月11日に発信したこの記事をご記憶だろうか。ブラームスを含む音楽史とて歴史の一部である以上、ドイツ史の前にブラームスを置いてみたいと宣言した。カテゴリー「077ドイツ史」の最初の記事でもある。ドイツ史の入門書購入を決意した記事でもあった。「ドイツ史の前にブラームスを置く」というのは、具体的には単にドイツ史を幅広く学びたいということとイコールで、少々気取った言い回しをしたに過ぎない。

    その一つの到達点が4月以来展開中のビスマルク特集だった。間もなく一区切りをつけるが、今後も歴史によりかかった記事の発信が止まることはないだろう。ブラームスの演奏や鑑賞に歴史の知見は不要だと、知った上でもなお追求は止まらない。

    2013年1月 4日 (金)

    ZADP倶楽部

    芸能人やスポーツ選手、あるいはチームを熱心に応援する人たちが集まった会を頻繁に見かける。ファンクラブの類だ。ブラームスを賛美崇拝することが目的の団体は、大小あわせれば相当な数に上るだろう。

    ところがそのブラームスが誰かを賛美する会に入っていたとなるとこれは珍しい。

    本日のお題「ZADP倶楽部」がまさにそのレアケースにあたる。

    時は1890年、ドイツ帝国の宰相ビスマルクは、時の皇帝ヴィルヘルム2世によって失脚させられる。野に下った彼はハンブルク近郊のフリードリヒスルーに戻ることになった。このとき彼の乗った馬車から馬を解き放って、自分たちの手で馬無き車を引いて元宰相に敬意を払おうとした崇拝者たちがいた。この目論見は警察の手で止められたが、彼らはその後ビスマルクを崇拝する団体を結成した。この会が「ZADP倶楽部」だ。「Zum Ausspanen der Pferde」の頭文字を取っている。「馬を放つ」という意味だ。

    実はその行いは1866年に遡るという。普墺戦争勝利後、前線大本営から国王と共に帰国したビスマルクは一旦王宮に入る。その後馬車で官邸に戻るために王宮の門を出たところで、群集に囲まれる。人々は馬を切り離し、自分たちの手で馬車を引き始めたという。

    熱狂的なビスマルク支持者で、ときには物議を醸したブラームスは、1894年にこの「ZADP倶楽部」ウィーン支部の名誉会長になっていた。

    ビスマルクの剛腕ぶりにはドイツのみならず批判の声があるのは間違いないが、庶民ベースでは、ビスマルク好きは少なくない。

    そして日本にもビスマルク好きがいる。

    1. 岩倉具視 岩倉使節団の団長。
    2. 木戸孝允 
    3. 大久保利通 征韓論を退けた後プロイセンラブに方針転換。
    4. 伊藤博文 日本のビスマルクを自認。明治天皇公認のビスマルクファン。
    5. 青木周蔵 大のプロイセン好き。

    これらがいわば「ZADP倶楽部日本支部」の首脳だ。

    2013年1月 3日 (木)

    正月返上

    スポーツ界において、正月返上は珍しいことではない。サッカーの天皇杯は元日恒例だし、駅伝も正月には欠かせない。むしろ正月にその舞台に昇れることがステイタスにさえなっている。

    次女たちオケフェスの翌日からピアノ五重奏の練習が始まった。年末29日は一日中、30日は午前中、弦楽器の4人だけがメンバー自宅マンションのコミュニティルームで練習した。大晦日は11時から近所のスタジオを借りてピアニストを加えて練習。昼食休憩を挟んで2時間みっちりと磨きをかけた。練習最後の通しを聞かせてもらった。骨太な暗譜演奏。骨太感の原因はおそらく肝っ玉の据わったヴィオラに違いあるまい。練習番号Bから始まるフーガをサクッと率いる音色がヴィオラならでは。さらにさらに特筆すべきはその日合流したピアニスト。彼女の掌中で、弦楽器奏者4人が存分にはじけた感じ。ピアノが加わって輪郭がキリリとしたおかげで、交通整理に忙殺されていた第一ヴァイオリンの解放感が半端ない。加えてチェロのごっついテンポ感が頼もしい。セカンドの次女はメンバーに恵まれた幸福を心から味わったハズだ。

    無理やり課題なんぞ挙げては野暮だが一応。「インテンポで歌うこと」「練習番号Bからのフーガの交通整理」「トリオどないするねん」「ピアニシモ決め」くらいか。けれども課題の克服になんか汲々としないで、パーッと羽ばたいて欲しい。5人でならきっと翔べる。

    初練習は一昨日元日の午後1時から。これもまたフルメンバーで2時間。練習を録音し検討と修正を重ねた。

    昨日2日はオフだが家で個人練習。今日3日11時からまた全メンバーでホールを借りて練習する。明日4日には学校が使えるようになって初登校。講師の先生に練習を見てもらう。実はこの日講師に見てもらうための準備を今延々と重ねている。譜読み、暗譜をそこそここなした状態で自分らの演奏を講師に問うことが大切。「ダメ出し上等」と覚悟を決め、まずは自分らの描くブラームスをぶつけてみる。そしてそこから1週間でゴシゴシとさらに連帯とテンションを高めて行く。

    本番は1月12日。

    正月早々極上の幸福感。

    2013年1月 2日 (水)

    カルタの大穴

    いやはや驚いた。ブラームス、ドヴォルザークに継ぐカルタの第3弾がまさかビスマルクになるとは思わなかった。2010年ドヴォルザーク特集の真っ只中で迎えた元日に「ドヴォルザークいろはガルタ」を公開した後に、今後カルタを作れそうなテーマのランキングを記事にした。このときビスマルクはランクインしていなかった。ランクインどころか頭の隅にさえ宿っていなかった。それが昨年4月から延々ビスマルクネタを発信するうちにみるみるカルタ化が現実味を増してきた。

    それほど昨年3月のドイツ旅行の印象が鮮烈だったということだ。膨張する次女のオケネタとの拮抗は悩ましい限りだったが、そういうときほどネタを思いつくから始末が悪い。やむを得ず20本ほどのビスマルクネタが公開延期になり、2015年のビスマルク生誕200年企画まで温存される破目になった。

    この調子でランク外から彗星のように躍り出るカルタがもう2、3本あれば、記事のやりくりもかなり楽になる。

    2013年1月 1日 (火)

    ビスマルクいろはガルタ

    次女のオーケストラネタの奔流に呑み込まれ気味のビスマルク特集。これを蘇生させるための力技。いやはやまさかビスマルクでカルタとは我ながら驚いた。ブラームスドヴォルザークに継ぐカルタ第3弾をお送りする。

    ルールはいつもの通り。

    1. 五七五の俳句調
    2. 濁点半濁点を含む68句。
    3. 「ビスマルク」という言葉を使わない。

    <ビスマルクいろはガルタ>

    • い イギリスは攻めて来ないとタカくくり
    • ろ ロッキーの麓ダコタに名前貸す
    • は 半熟の卵をのせて食べたがる
    • ば バチカンと我慢我慢の根競べ
    • ぱ パリの街撃つや撃たぬで大議論
    • に 日本の留守の事情を心配し
    • ほ 本当は緩くつるんでいたいだけ
    • ぼ 暴漢に2度襲われて助かった
    • ぽ ポムメルンヴァルツィンは今ポーランド
    • へ ヘルベルト嫡男ゆゑの辛苦あり
    • ベ ベルリンとハンブルクでも名誉市民
    • ペ ペイしない植民地など儲からぬ
    • と トラブルは次の一手のとっかかり
    • ど ドイツでは何はともあれ参謀本部
    • ち 蓄音の宣伝代わり声遺す
    • り 理屈抜きシャンパンだけはおフランス
    • ぬ 塗り残す陸地が無いとあきらめた
    • る ルートヴィヒ2世手玉にとる手紙
    • わ 忘れるな賢者歴史に学ぶもの
    • か カノッサに俺は行かぬと啖呵切る
    • が 学生の牢に落書きまだ読める
    • よ ヨハンナのそばに行けると目を閉じた
    • た タクシスの郵便馬車を買い取った
    • だ 誰にでもすぐに喧嘩を吹っかける
    • れ 連戦を勝ち抜く支度出来ていた
    • そ 総選挙決戦の日が投票日
    • ぞ 続々とサドヴァの野辺にプロイセン
    • つ 疲れ果て帰るフリードリヒスルー
    • ね 熱冷ます暇を与えぬ3連勝
    • な 名も知らぬ南の島に名前付く
    • ら ラスカーと丁々発止やりあった
    • む 息子たちやっぱり父にかなわない
    • う ウィーンを攻めちゃならぬと体張る
    • ヴ ヴェルサイユ鏡の間にて国起きる
    • の ノイシヴァンシュタイン城の足しにして
    • お 乙女らに鉄血宰相気後れし
    • く  首を賭け辞任覚悟の大芝居
    • ぐ 軍事費を事後承諾で無理通す
    • や やすやすと英仏墺露ごぼう抜き
    • ま マリーとは実は心で惹かれあい
    • け 決闘を25回もやらかした
    • げ 逆鱗に触れて王国取り潰し
    • ふ ふくだもなフランスよりも手強そう
    • ぶ ブラジルのサッカー選手に確かいた
    • ぷ プロイセンやがてドイツに呑み込まれ
    • こ 皇帝を捕虜にした日が記念日に
    • ご ご自分でお決めなさいと突き放し
    • え 演説にメロメロ岩倉使節団
    • て 鉄と血を集めて速しエルベ川
    • で 電文を少し略してけしかけた
    • あ アウグスタ王妃は罷免出来かねる
    • さ 傘寿来て演説集を出版す
    • ざ 残念だ藻屑と消えし最強艦
    • き 気にしないロシアが南下してきても
    • ぎ ギリギリの密約外交お手のもの
    • ゆ 指環には呼ばれたけれどドタキャンし
    • め 目を覚ませ今鉄道は国家なり
    • み 道ならぬ恋の相手の紹介で
    • し 新帝と国を賭けての大喧嘩
    • じ 条約でがんじがらめの平和主義
    • ひ 人々が馬を放ちて馬車を曳く
    • び びっくりだまさかカルタになるなんで
    • も モルトケに葉巻を2本差し出した
    • せ 千年のハプスブルクに引導を
    • ぜ ゼメリンク峠で一度死にかけた
    • す スタウトをシャンパンで割るお気に入り
    • ず 頭が高いユンカー様のお通りだ

    あけましておめでとうございます。

    2012122911390000

    またまた愛車のメーター。今年は地味にブラームス生誕180年だ。

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      はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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