シュタルンベルク湖
ブラームスとシュタルンベルク湖の最大の接点はトゥツィングということになる。1873年夏のためにブラームスが選んだ避暑地。南北に細長い湖のほぼ中央の西岸にある。ミュンヘンからの鉄道も通っている。
ブラームスの滞在から13年を経た1886年4月18日に森鴎外は初めてシュタルンベルク湖を訪れる。同年3月9日にミュンヘンに居を構えた鴎外はそれ以降日帰り圏にあるこの湖を頻繁に訪れる。以下にその様子を列挙する。
- 4月18日 医学生9名とシュタルンベルクまで列車で来て、そこから歩いてアンデックスに出向いた。そこで名高い修道院ビールを賞味した。シュタルンベルク湖は厳密に申せば目的地にはなっていないが、駅前から湖畔はすぐなので一応カウントしておく。
- 6月27日 「加藤岩佐とウルム湖に遊び、国王及びグッデンの遺跡に弔す」とある。「ウルム湖」はシュタルンベルク湖の別名。「加藤岩佐」は友人加藤と岩佐の2人。実はこの日から丁度2週間前6月13日バイエルン王ルートヴィヒ2世が溺死するという大事件があった。遺体の発見場所はシュタルンベルク湖東岸のベルク城近くの浅瀬で今もってその真相が詮索されている。鴎外はこの事件を独逸日記の6月13日に記述している。2週間後に遺体発見場所を訪れたことは間違いない。
- 9月2日 友人一人と訪問。国王とその侍医を詠じた漢詩を残しているから、この日もベルク城を訪れたことは確実だが、この日は何故か日帰り。ミュンヘンを発つ友人を駅まで見送るためだった。
- 9月3日 前日に続いてまた訪れた。今度は単独だ。ミュンヘンを夕方に発つ列車でシュタルンベルクに至り、バイエリッシャーホフに投宿した。
- 9月4日 日の出の絶景を楽しんだ後、湖畔東側を馬車で南にくだりレオニーに赴いた。
- 9月5日 シュタルンベルクの宿を引き払ってレオニーの「レオニー客舎」に投宿。シュタルンベルクは汽車の往来も頻繁で、ミュンヘンと同じくらい騒がしいからと理由を添えている。
- 9月7日 ロットマン丘にハイキング。レオニーの南約1キロの景勝地。
- 9月8日 またまたロットマン丘。シュタルンベルク対岸の家を数えたとある。およそ2km先の対岸の家が見えたということだ。
- 9月10日 レオニーから徒歩でアンメルラントを経てアムバッハまで出かけた。片道道10kmの湖畔ハイキング。目的地アムバッハは、ブラームスの避暑地トゥツィングのちょうど対岸にあたる。
- 9月18日 ミュンヘンに戻る。3日から16日間の長逗留だ。
- 10月23日 友人4人と日帰りでレオニーを訪問。
- 11月13日 複数の友人とレオニーで1泊。
- 1887年4月11日 友人3名とレオニーへ日帰り。
いやはやかなりの訪問回数である。特にレオニーはかなりのお気に入りだ。これらの滞在は後に「うたかたの記」となって結実することになる。
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