旅の交点
私が延々と独逸日記に執着する理由の一つに今日言及する。
昨年3月次女のドイツ公演を追いかけたドイツ旅行で、長男とともにドイツの地に足跡を刻んだ。その足跡が鴎外の足跡とかぶっていやせぬかと思いつめたせいだ。下記のような我々の旅程と鴎外のドイツ滞在との交点に辿り着きたい一心だった。
- フランクフルト
- レヴァークーゼン
- ケルン
- デュッセルドルフ
- ボン
- ザンクトゴアハウゼン
- ローテンブルク
- ニュルンベルク
- バンベルク
- レーゲンスブルク
- フュルト
我々の足跡はこれらの街にしか残っていない。上記全て鴎外が訪問した記録が無い。惜しいのはケルン。マルセイユに上陸してパリを経由してベルリンを目指した鴎外は、ケルンを通過したが列車を降りていない。ニュルンベルクもまた列車で通過しただけで降りていない。
諦めかけていたところで、光明。上記10番のレーゲンスブルクは、ミュンヘン在住中の鴎外がベルリンへ出張する際の経由地として言及される。1887年8月9日の記述。朝7時半にミュンヘンを出た。途中レーゲンスブルクで列車を降りてビールを飲んだと書かれている。彼はレーゲンスブルクで一瞬とはいえ列車を降りていた。ビールの売り子がミュンヘンのカフェにいた知り合いのウェイトレスだったから特記しているのだ。
我々親子は、代理店の設定にない行動を旨としたから、ニュルンベルク午後の自由時間に、レーゲンスブルク行きを企てた。おかげで鴎外との交点を確保した。
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