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2013年1月 4日 (金)

ZADP倶楽部

芸能人やスポーツ選手、あるいはチームを熱心に応援する人たちが集まった会を頻繁に見かける。ファンクラブの類だ。ブラームスを賛美崇拝することが目的の団体は、大小あわせれば相当な数に上るだろう。

ところがそのブラームスが誰かを賛美する会に入っていたとなるとこれは珍しい。

本日のお題「ZADP倶楽部」がまさにそのレアケースにあたる。

時は1890年、ドイツ帝国の宰相ビスマルクは、時の皇帝ヴィルヘルム2世によって失脚させられる。野に下った彼はハンブルク近郊のフリードリヒスルーに戻ることになった。このとき彼の乗った馬車から馬を解き放って、自分たちの手で馬無き車を引いて元宰相に敬意を払おうとした崇拝者たちがいた。この目論見は警察の手で止められたが、彼らはその後ビスマルクを崇拝する団体を結成した。この会が「ZADP倶楽部」だ。「Zum Ausspanen der Pferde」の頭文字を取っている。「馬を放つ」という意味だ。

実はその行いは1866年に遡るという。普墺戦争勝利後、前線大本営から国王と共に帰国したビスマルクは一旦王宮に入る。その後馬車で官邸に戻るために王宮の門を出たところで、群集に囲まれる。人々は馬を切り離し、自分たちの手で馬車を引き始めたという。

熱狂的なビスマルク支持者で、ときには物議を醸したブラームスは、1894年にこの「ZADP倶楽部」ウィーン支部の名誉会長になっていた。

ビスマルクの剛腕ぶりにはドイツのみならず批判の声があるのは間違いないが、庶民ベースでは、ビスマルク好きは少なくない。

そして日本にもビスマルク好きがいる。

  1. 岩倉具視 岩倉使節団の団長。
  2. 木戸孝允 
  3. 大久保利通 征韓論を退けた後プロイセンラブに方針転換。
  4. 伊藤博文 日本のビスマルクを自認。明治天皇公認のビスマルクファン。
  5. 青木周蔵 大のプロイセン好き。

これらがいわば「ZADP倶楽部日本支部」の首脳だ。

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