レマゲン鉄橋
第二次世界大戦末期、ノルマンディーに上陸してパリを開放した連合軍の次なる目標はベルリンだった。問題は独仏国境に横たわる大河ラインである。ライン川の橋は大戦初期にフランスへ侵攻する際には多大な貢献をしたが、守るとなると敵に利するばかりとなる。かといって破壊が早すぎても友軍の撤退に支障が出る。橋を巡る攻防は映画にもなった。そのタイトルが「レマゲン鉄橋」だ。レマゲンと対岸のエルペルを結ぶ橋で正式な名前はルーデンドルフ橋という。考案者の名前を採った橋なので近所にルーデンドルフという地名があるわけではない。
最終的にヒトラーは爆破を命じたが、なぜか十分に破壊されずに残り、ヒトラーの逆鱗に触れた破壊担当者は軍法会議にかけられたという。連合軍主力が橋を渡り終わった後崩落したらしい。今も復元されてはいない。
よくよく地図を見ると、パリとベルリンを結ぶ直線上にあるようにも見える。ベルリンに迫る最短距離だった可能性が高い。戦車も航空機も使われたこの時代になってもなお、防衛線たるライン川の位置付けは揺らいでいなかったということだ。
レマゲンはRemagenと綴る。何だかドイツっぽい名前と油断していたが、どうもお宝だった。これはケルト語で「王の野」を意味するらしい。
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