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2013年3月31日 (日)

皇妃アグリッピーナ

ローマ皇帝カリギュラが闘技場で暗殺された後、皇帝の位についたのがクラウディウスだった。その妃が本日話題のアグリッピーナである。前帝カリギュラの妹でもある。彼女には前夫との間に男の子がいた。連れ子である。西暦50年頃、彼女の夫クラウディウスは、親ローマのゲルマン人が開いたライン河畔の集落を殖民都市に格上げした。妃の出身地だったからという話もある。彼は新しい殖民都市の妻の名前をつける。

「コロニア・クラウディア・アーラ・アグリッピネンシウム」という長い名前だ。さすがに長いので程なく「コロニア・アグリッピネンシス」や「コロニア・アグリッピーナ」と呼ばれるようになる。5世紀には単に「コロニア」(Colonia)にまで縮められてしまう。これでは単に「植民地」の意味である。

さて有頂天の妃は、やがて自らの子を皇帝の座にと願うようになる。日本にだって、我が子を天皇や将軍にしたいと欲した女性は少なくなかったが、彼女は夫である皇帝に毒を盛ることでそれを実行に移す。こうしてまんまと即位した彼女の連れ子が後に暴君と呼ばれることになるネロである。彼女はカリギュラの妹でネロの母だということになる。

そう。彼女の名前を背負った街コロニアこそが、現在のケルン(Koln)だ。地名語尾の探索はケルンに関しては無駄である。

2013年3月30日 (土)

Messel Grube

フランクフルトの南およそ20kmの位置にある化石採掘場のことだ。1875年にはじめて化石が発見されたが、人々に知られるようになったのは20世紀に入ってからで、組織的な発掘が行われ始めたのは1970年だ。今から5000万年前の始新世の動植物が、驚くべき保存状態で発見されるという。世界中でここだけの特産も多いと聞く。

当時の欧州は現在より10度ほど南にあったとされていて、動植物の種類がとても豊富だ。火山活動にともなう有毒ガスにより、多様な動物が短い期間に死んだ可能性が指摘されている。

「Grube」は「巣穴」「くぼ地」を意味する。語尾が脱落した「grub」は地名語尾にもなっている。

1995年に世界遺産に登録。

2013年3月29日 (金)

アスピリン

アセチルサルチル酸の商標名。痛み止めの横綱格だ。とりわけ米国では常備薬化しているという。製薬会社バイエル社によって1899年に製品化されたから、ブラームスは服用していない。

1860年にカール・レヴァークーズが小さな染料工場を建てた。1891年にバイエル社がこれを 買収して20世紀には本社を同地においた。アスピリンの製造を柱に欧州屈指の製薬会社に成長した。

1934年に同地近隣の市町村が合併するときに新市名に選ばれたのが、レヴァークーゼンだ。当時既にバイエル社の企業城下町状態だったから、創業に功績のあった人物の名前が選ばれたということだ。だから地名語尾の探索は無駄。

昨年3月29日の朝は、レヴァークーゼンだった。

2013年3月28日 (木)

ニュルブルクリンク

自動車関連ネタが続いた勢いで言及する。

アイフェル火山群の北側にアイフェル高原がある。標高500~600mの丘陵地だ。その丘陵地の中、ボンの南南西およそ55kmにニュルブルクという街がある。ここは自動車レースファンの聖地。世界的に名高いニュルブルクリンクというサーキットがある。一周20kmを超える異例の巨大サーキットだから、20万分の1の道路地図でも、かなり大きく描かれている。172箇所のカーブなど多彩なコースで名物コーナーも多く、それらの見せ場にはいちいち名前が付けられている。それらの名前は地名収集の観点からも興味深いので、一覧にしておく。いつものように赤文字はウムラウトだ。

  1. Hatzenbach 近隣を流れる川の名。「Hatzen」は「狩」の意味か。
  2. Hocheichen 「高いオークの森」。サーキット建設中に一部伐採したらしい。
  3. Quidelbachahohe 「クウィデルバッハの丘」。近隣の集落の名から。
  4. Flugplatz 「飛行場」。コースの近隣にグライダーの飛行場があるらしい。この場所がジャンピングスポットだったこととも関係があるかもしれない。
  5. Schwedenkreuz 「スェーデン十字路」という古い十字路。17世紀の30年戦争で侵攻してきたスウェーデン軍に由来する地名。
  6. Aremberg 近隣の山の名から。
  7. Fuchrohre 「狐の穴」。サーキット造成工事中に狐が排水管に逃げ込んだエピソードから。
  8. Adenauerforst 近隣の集落アーデナウ周辺の森から。戦後の西ドイツ首相アデナウアーが、ケルン市長だったころ、同サーキットの建設に協力したことと関係があるのだろうか。
  9. Metzgesfeld 土地台帳記載の農地の名。「Metzge」は「屠殺場」の意。
  10. Kallenhardt これも土地台帳記載の農地。「Hardt」は「山林」。「Kallen」は「婚約者」
  11. Wehrseifen 「防衛用の砦」の意味か。
  12. Exmuhle 「かつて水車があった場所」の意味。
  13. Bergwerk 「鉱山」。18世紀まで本当に銀が採掘されていた。
  14. Kesselchen 「小盆地」。
  15. Klostertal 「修道院の谷」 14世紀まで近隣にヨハネ修道院があった。
  16. Steilstrecke 「急坂区間」
  17. Karussell 「回転木馬」 実地も極端なヘアピンカーブになっている。
  18. Hoheacht 「アハト山」 近隣でもっとも高い山の名。
  19. Wippermann 土地台帳の農地名だが由来は不明。「wipperman」はトロッコ鉱夫の意味だから近隣の鉱山との関連がうかがえる。
  20. Eschbach 「耕地の川」。よくある地名でこれも土地台帳から。
  21. Brunchen 「小さな泉」の意味で、実際に近隣集落への水源地だった。
  22. Pflanzgarten 「養苗農場」の意味。ニュルブルク伯の栽培菜園があったとか。
  23. Schwalbenschwanz 「ツバメの尾」 コースの形状から。
  24. Galgenkopf 「絞首台の頭」 ニュルブルク伯領の処刑場があった。
  25. Dottingerhohe 「デッティンガーの丘」 近隣の集落デッティンゲンより。
  26. Antniusbuche 聖アントニウスを祭った祠がおかれたブナの大木があった。
  27. Tiergarten 「動物園」の意だが、ここでは昔、戦場で死んだ動物の墓があった。
  28. Hohenrain 「高い堤」の意味。

いやはや面白い。20万分の1の道路地図からは漏れている小字クラスの地名が、ごっそり反映している感じだ。

 

 

2013年3月27日 (水)

レムシャイト

Remscheidと綴られる地名。刃物で有名なゾーリンゲンの東およそ10kmの位置。地名語尾「scheid」の分布域の北限を為す。ワインで名高いモーゼル地方にのみ特異的に分布する地名語尾「scheid」は、「切れ目」「裂け目」を意味する。たとえば「Wasserscheid」で「分水界」になる。同地方は「tal」や「thal」の分布空白域でもあるので、「谷」に近いイメージかもしれず、妄想果てしない感じ。

「ルール工業地帯に隣接する小都市と説明されるより、X線の発見で第一回ノーベル物理学賞受賞者、ヴィルヘルム・レントゲン(1845-1923)の生地として名高い。ブラームスの伝記に登場するドイツ生まれの作曲家ピアニストのユリウス・レントゲンとは従兄弟にあたるらしい。ジーボルトしかりグリムしかり。レントゲンまでもとは世の中狭い。

で、本日はレントゲンさんの誕生日にあたるというささやかな辻褄。

2013年3月26日 (火)

Pforzheim

第一交響曲の初演で名高いカールスルーエから南東、シュトゥットガルトに向かっておよそ30km走ったあたりにある街だ。世界初の自動車旅行の終点として名高い。

1888年8月5日ベルタ・ベンツは、夫が発明して特許がとれたばかりの「Benz patent Motorwagen」という三輪自動車でドライブを試みた。日の出とともに出発して日没までのロングドライブだ。出発地はライン河畔のマンハイム。丸一日かけておよそ100kmの距離にあるプフォルツハイムにたどり着いた。

世界最初の自動車旅行であるばかりか、彼女は世界最初の女性ドライバーとも目されている。夫のカール・ベンツは世界最初の自動車メーカーの創設者として名高い。

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2013年3月25日 (月)

アウディ

「Audi」と綴るドイツの自動車メーカー。創業者はAugst Horchという。一旦会社を起こした後に、経営方針の違いから別会社を立ち上げたホルヒは新たに「Audi」というブランドを起こす。ドイツ語「Horch」は「聴く」という意味だが、これをラテン語に転写したのが「Audi」だ。

1920年代同社は高級車に都市の名前をつける。「Audi Zwickau」と「Audi Dresden」だ。本社の所在地はツヴィッカウだったらしいから、それに因んだといえそうだが、シューマン愛好家にはたまらないネーミングだ。

自動車の名前に地名を採用するのは斬新だ。マーケティング上課題もあろうが、魅力的である。

2013年3月24日 (日)

バルト3国の位置

昨日フェラーリの話が出たついでのネタ。バルト3国について長男から聞いた話だ。バルト3国とは、エストニア、ラトビア、リトアニアだ。私の受験の頃はまだソ連の枠組みの中だったので、個別に習ったことが無い。

この3つの国はフィンランドの南、バルト海に面する位置にある。これらの国々の位置を正確に記憶する呪文が「フェラーリ」だという。

ンランドの南にあって北から順にストニア、トビア、トアニアと並ぶ。赤くした文字を順に読み取ると。「フエラリ」になる。つまり「フェラーリ」というわけだ。これを知ってからバルト3国の位置を間違えることがなくなったと言っている。

2013年3月23日 (土)

牝馬の庭

バーデンビュルテンベルク州の都はシュトゥットガルトだ。Stuttgartと綴る。地名語尾「gart」は「garten」の語尾脱落と解されているから、意味としては「庭」「牧場」だ。「Stutt」は「牝馬」なので合わせて「牝馬の庭」とでも解されよう。

シュトゥトガルト市のエンブレムには「馬」が描かれている。後足で立つ馬だなどと申し上げるよりは、「ポルシェ」のエンブレムの中央に描かれている馬と説明した方が早くて確実だ。ポルシェ社は本社所在地の市章を自社のエンブレムに借用しているということだ。

さらに自動車レースの世界ではポルシェとともに抜きん出た存在のフェラーリがある。実はこのフェラーリ社の社章も「後足で立つ馬」である。紆余曲折もあってイタリアメーカーなのにシュトゥットガルト市の紋章が用いられている。創立者エンツォ・フェラーリが、まだレーサーだった頃、お守りとして車につけていたマークが、シュトットガルト市の紋章だったという由来が伝えられている。細かく見るとポルシェの馬より、フェラーリの馬の方が直立に近い感じがする。

どうもシュトゥットガルトは自動車に縁がある。点火プラグや電子部品のボシュ、座席のトップメーカーであるレカロ社の本社もシュトゥットガルトだ。

2013年3月22日 (金)

地名接頭語

ブログ「ブラームスの辞書」がはまり込んでいる「地名語尾」から少し脱線する。地名先頭にくっつきがちなことばを拾い上げる。語幹の地名に微調整を施す機能がある。

  1. Alte 「古」、「新」が出来て初めて成立する。
  2. Bad 「温泉」 日本と違って語頭に来る。
  3. Gross 「大」
  4. Hinter 「奥」日本語で言う「後」も含む概念。
  5. Kleine 「小」
  6. Neu 「新」
  7. Nieder 「低」土地標高の高低から来る。
  8. Nord 「北」 インターチェンジや駅の名前のときは語尾に来る。
  9. Mittel 「中」位置的、高度的に「中程」
  10. Ober 「上」
  11. Ost 「東」
  12. Sankt 「聖」 あちら独特。しばしば「St」と略される。後方に人名従えて聖人化する機能がある。だから厳密には、地名の微調整ではないけれど、ここに挙げる。
  13. Sud 「南」
  14. Uber 「上」 「Ober」との区別がつきにくい。
  15. Unter 「下」
  16. Ur   「原」「元」くらいか。
  17. Vor 「前」「Hinter」の反対概念。
  18. West 「西」

「Sankt」以外は日本にも当てはまる。「Bad」は日本なら語尾に来る。

2013年3月21日 (木)

ヨハネスの休息

「人名+ruhe」または「人名+ruh」で、「誰それの休息」という地名が頻発する。交響曲第1番を初演したカールスルーエが名高い。ビスマルクの墓が「Friedrichsruh」にある話や、ウィーンの森にBeethovenruheがある話も取り上げた。

となるとどこかに「Brahmsruhe」が見つからないかと考えるのが自然である。ブラームスルーエは見つけることが出来ずにいるが、ウィーン近郊に「Johannesruh」を発見した。メートリンクという街がウイーンの南にある。「Modling」と綴る。この街の南に好眺望を誇る展望台があり、これが「Johannesruh」と呼ばれていた。

メートリンクはブラームスも遠足に訪れたことがある。もしかするとブラームスがヨハネスルーを訪れていたかもしれない。

2013年3月20日 (水)

ベートーヴェンルーエ

ベートーヴェンの交響曲第6番は「田園」と呼ばれている。ウィーンの森が着想の原点であることは有名だ。ウィーンの森にはベートーヴェンの痕跡があちこちに残る。ウイーン郊外、遺書で名高いハイリゲンシュタットの北隣にヌスドルフ「Nussdorf」という町がある。ここからカーレンベルクまで続く小道が「Beethovengang」と言われている。

その小道の途中にベートーヴェンが田園交響曲の構想を練ったとされる場所があって、そこが「ベートーヴェンルーエ」と呼ばれている。「Beethovenruhe」だ。偉人の休息は地名になるという典型的な例である。

2013年3月19日 (火)

ヴァイオリンの森

記事「地名樹種」を今一度ごらんいただきたい。地名に残存する樹種をアルファベット順に列挙した表だ。その1番目「Ahorn」と8番目「Fichite」が本日の主役だ。

ヴァイオリンの表板に使われるのが「Fichite」(ドイツとうひ)で、ネックと裏板に用いられるのが「Ahorn」(かえで)である。もうひとつ欠かせない樹種は指板に使用する「黒檀」で、ドイツ語では「Ebenholz」という。この黒檀だけはドイツで産出せず輸入に頼っているらしい。だから地名に反映していないというシンプルで、シャープなオチ。

2013年3月18日 (月)

ウィーンの森

オーストリアの首都ウィーンの北、西、南を囲む森。「Der Wiener Wald」という。ヨーロッパアルプスの東端を形成する。人々の努力によってほぼ手付かずの原生林が広がる。ハプスブルク家の狩猟場やたくさんの修道院が点在し、市民憩いの場となっている。ドイツの森との違いはその樹種にある。いまはすっかり針葉樹が優勢になったドイツの森とちがって、ウィーンの森はブナを筆頭とする広葉樹が優勢だ。

ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、シェーンベルク、マーラーも盛んに訪れていた。肝心のブラームスもしばしば遠足に出かけていると証言されている。5月から9月にかけては、避暑地に出かけてしまうが、それ以外はウィーンからの日帰りハイキングを楽しんでいた。1881年の夏はウイーンの森の中プレスバウムに滞在しピアノ協奏曲第2番が生まれている。プレスバウムは地名語尾「baum」の代表例だ。

2013年3月17日 (日)

トイトブルクの森

ビーレフェルトからオスナブリュック一帯に広がる森林地帯。標高はさほど高くない森で、西暦9年にローマ対ゲルマンの天下分け目の戦いがあった。日本人なら関が原の戦いを大抵知っているように、ドイツ人なら「トイトブルクの森の戦い」を皆が知っていると思っていい。

2万数千のローマ軍を約2万のゲルマン民族連合軍が全滅させた。軍勢の数で申せば、かなりの規模の戦だが、ゲルマン連合軍は地の利を生かしてゲリラ戦法に徹した。ローマの司令官ヴァルスは自決した。アルミニウスはドイツ風にいうとヘルマンだ。彼は紀元前5年までにティベリウスによって達成されたゲルマニア征服の後、ローマの補助隊に属して手柄を重ねた。このとき正規軍3万に補助隊5千およびその家族の混合軍が、ゲルマニア中部からライン沿岸の軍団駐屯地に向けて移動中だった。征服戦に対する防衛ではなかった。征服済みの領地内での単なる移動だったから家族まで含んでいたのだ。ニセ情報をつかませて悪天候の中森に入るよう仕向けて待ち伏せた。イメージ的には「本能寺の変」に近い。

ローマ側の記述はトイトブルクの隘路でという簡潔な表現にとどまっていて長らく場所がわからなかった。1875年には戦勝記念のモニュメントがデトモルトに建てられた。古戦場がこの付近だと思われていたためだ。ブラームスがはじめて職を得たあのデトモルトである。

詳細な位置については長らく論争になっていた。邪馬台国論争のようなものだ。1987年になってあるアマチュア愛好家が金属探知機を用いて大量のコインを発見する。2年後に始まった正式発掘により、おびただしい遺物が顕われた。人骨はほぼ成人男子のものに限られることに加え、発掘されるコインの鋳造年代が西暦9年以前のものに限られることが決め手となってここがトイトブルクと確定した。ちなみにこの場所はドイツ・ローマ学の泰斗モムゼンの予言通りの場所だった。

オスナブリュック(Osnabruck)の北10kmにBramscheという街がある。この街の東の町外れKalkrieseというのがその古戦場だ。愛用の道路地図巻末の索引には載っていない。

現在の地図にはKalkrieseの北を大きな運河が通っているが、もちろん当時は存在しなかった。そのまた北にはKalkrieser moorという湿地帯が現在の地図にも載っている。当時は湖だったとも言われている。そして南には150m前後の山と森だ。山と湿地の境界をなす細長い通路を進むローマ軍を南の山麓に陣取ったゲルマン軍が横から不意打ちしたと伝えられている。

それにしてもこの戦いの意味は大きい。これ以降ラインとドナウがローマとゲルマンの境界として固定されて行く。西暦9年の戦が、現在の独仏国境に影響を与えていることは間違いない。

2013年3月16日 (土)

「holz」の分布

地名語尾「holz」は「材木」「丸太」を意味する。森林関連地名と見ることも可能だ。ほぼマイン川以北の北ドイツに分布するのだが、このほど大変興味深い例外を発見した。

「Jungholz」だ。ミュンヘンの南西およそ100km、オーストリアとの国境付近だ。このユングホルツ地区は、ドイツ領の中にポッカリと浮かぶオーストリア領の飛び地だ。山中の小さな集落。これと言って有名な観光資源があるわけでもないが、あたりはいわゆるチロルだから、景色は良いに決まっている。

「飛び地」はなんだか夢がある。いわくがあるに決まっているからだ。カリーニングラードはロシアの飛び地として名高い。ブレーマーハーフェンは周囲をニーダーザクセン州に囲まれたブレーメンの飛び地だ。プロイセンはその発展の過程では飛び地だらけのつぎはぎ領土だった。彼らの発展は、飛び地を何とか一つながりにしたいという欲求に駆られたものだとも言える。

2013年3月15日 (金)

地名語尾の垂直分布

垂直分布という言い回しには少々説明が要る。地名語尾がドイツ各地にどのように分布しているかについては、該当する地名語尾を抜き出して、地図上にプロットする作業を通じて、おおまかに把握することが出来る。私はこれを水平分布と呼んでいる。

「垂直分布」は地名語尾の発生の起源の新しい古いを把握する概念のことだ。「水平分布」は私が愛用する現代の道路地図上での分布に過ぎない。本当のことを言うとこうした水平分布図を100年ごとに入手して比較したいのだ。各々の地名語尾の発生や変化を知りたいと願う立場だ。

ドイツの歴史や地理の書物をいろいろと調べたが、このことに直接言及する書物はほとんど見かけない。

ところが昨日紹介した「森が語るドイツ史」の56ページにその切り口の記述が現われる。「アーノルトの業績を手掛かりに」とわざわざ断っているから、「アーノルド某」という人物によるこの手の地名研究の成果を引用しているものと思われる。

  1. 民族大移動直後の定住にまつわる地名。「Lar」「Mar」「stedt」を綴りに含むもの。
  2. 上記定住後の土地開拓にまつわる地名。「ach」「berg」「brunn」「dorf」「feld」「hausen」「hofen」「leben」「weld」を綴りに含む。
  3. 中世大開墾期にまつわる地名。「roth」「riede」「rade」等を含む地名。開墾は南西ドイツを基点に北東へ広がったから、同じ開墾系地名でも南西部ほど古い。
  4. 開墾の過程を表す地名。「Fels」「brand」などは上記3と同時期。
  5. ザンクトを冠する聖人の地名も大開墾期に由来する。

上記1や2の系統の地名が、大開墾期に3~5の地名に差し替えられることもあった。現在の都市、耕地、森の枠組みは、ほぼ中世末期までには固まっていた。

いやはや目から鱗である。上記の情報個別には、根拠が示されていないから確認も検証も必要だが、地名についてのこれほどのまとまった情報は貴重だ。取り上げられている地名要素の全てが、私のデータ中にも存在すること自体、なにやら勇気付けられる。

2013年3月14日 (木)

森が語るドイツの歴史

ブラームスは朝の散歩が好きだ。避暑地に滞在する夏の間の日課にもなっている。お気に入りは森の散策だったという。だから記事のタネを求めて森林関係の書物を探していてお宝にめぐり合った。

「森が語るドイツの歴史」(築地書房)という本。1996年に刊行されている。カール・ハーゲルという人の著書が和訳されたものだ。「森を通して見たドイツ史」という切り口が斬新だ。有史以前からのドイツと森のかかわりが事細かである。目から鱗の連続で約300ページをあっという間に読破した。この本が西洋史・ドイツ史の棚ではなく環境問題・森林問題の棚にあったので気付かなかった。

  1. 古来ドイツの森は広葉樹林だったこと。
  2. 人々の営みが森を破壊する。一般家庭の薪に始まり、家畜の放牧、製塩、製鉄、鉱業、木材貿易など。そしてそしてもちろん開墾。
  3. 時々森が回復する。ペスト禍、30年戦争など。
  4. 植林。

何よりも嬉しいのは、著者は大変慎重に言葉を選びつつ、これらの変化の痕跡が地名に色濃く残ると、何度も断言している。地名研究の成果と連携して、森林史がより充実すると繰り返す。「~を含む地名は」という言い回しが随所に現われる。地名のパーツとしての単語を大切にしている印象だ。それはまさに「地名語尾」を含む概念である。

2013年3月13日 (水)

地名樹種

昨日の記事「森の分類」では地名語尾によって森を分類した。本日は地名に現われる樹種を一覧化する。今回は地名語尾とは限らない。

  1. ahorn カエデ
  2. birke カンバ。
  3. buch ブナ。本来はBucheだが地名では語尾の「e」がしばしば落ちる。
  4. eibe  イチイ。Eibenstock
  5. eich ミズナラ、オーク
  6. esche トネリコ。
  7. erle ハンノキ
  8. fichte トウヒ
  9. hesel ハシバミ
  10. kiefer 松
  11. linde 菩提樹
  12. tanne 樅
  13. ulme ニレ。
  14. weide 柳

項目の色分けは何のことだかお分かりだろうか。緑文字が広葉樹で、青文字が針葉樹。現在のドイツの森は針葉樹が多いが、地名への残存を見ると広葉樹優位である。それが過去のドイツの植生の反映かもしれない。

2013年3月12日 (火)

森の分類

「森」という漢字の成り立ちを見るだけで「木」の集合だと判る。木が集団で繁茂する場所だ。日本語でもヴァリエーションがある。「林」「木立」「茂み」などだが、森の国ドイツではさらにたくさんの言い回しがあり、それらが地名語尾に反映している。本日はそれらを列挙してみる。

  1. bog ブランデンブルク州「Juterbog」。デンマーク語で「ブナ」の意味がある。
  2. bok シュレスヴィヒホルシュタイン州「Ahrensbok」。スウェーデン語で「ブナ」の意味がある。
  3. buche ドイツ語でブナの意味がある。
  4. busch 北部ドイツに5箇所あるが木の集合というにはやや無理か。
  5. forst これといった特色も無く3箇所。「wald」は原生林だがこちらは「人の手が入った森林」という感じ。英語の「forest」に通じる。
  6. gau 33箇所。中央ドイツを空白にしたドーナツ型分布。「水辺の森林」の意味だが、ゲルマン人の土地統治単位だったという説もあるので要注意。
  7. hag 森、木立。地名語尾「hagen」の一部はこちらに起因するのではとも思う。
  8. hain 「gau」の空白区を埋めるようにも見える。中央ドイツに39箇所。「囲いのある林」の意味。
  9. hau 3箇所。森林の中の伐採区を指す。
  10. heide 荒地・原野を指すが、未開墾地という意味では森をも含む。森が乱伐された結果としての荒野でもある。
  11. hoe シュレスヴィヒホルシュタイン州「Jurrishoe」1箇所。
  12. holz 丸太。森そのものとはいえないが密接不可分。
  13. horst ザクセンアンハルト州を南限として北部に集中。「forst」からの転訛か。
  14. loh 12箇所が北部に分布。ザクセン神話の「聖林」に相当する。
  15. lohe もちろん「loh」と同一で5箇所。
  16. lohn これも「loh」の変化形で3箇所。全てニーダーザクセン州。
  17. tann バーデンビュルテンベルク州「Buhlertann」1箇所。「樅の木」あるいは「鬱蒼たる森林」の意味。
  18. tanne ザクセン州「Lichtentanne」1箇所。
  19. thann 3箇所全てバイエルン州。もちろん「tann」の変形。
  20. wald 43箇所。ほぼドイツ全土。原生林でとりわけ山に近い意味もある。
  21. walde 36箇所。原則として北部。エルベの東に分布するが無視しえぬ例外もある。申すまでも無く「wald」の変形。

いやはや多彩。「開墾地」の16箇所を上回る。ブタの放牧地でもあり薪の供給元でもある。人々の生活になくてはならない森だからその土地ごとに言い回されてきたと判る。

2013年3月11日 (月)

想定外

2010年10月から始まったアラビアンナイト計画。記事2002本目から3003本目まで、企画を敷き詰めるというコンセプト。そのゴールは本年の7月だ。実を申せば、立ち上げ当初の段階から敷き詰めるだけなら目処はついていた。当時の計画では合計19本の企画で1000日をやり過ごす予定だった。次女はそのとき中学3年。受験レースの真っ只中。

気の利いたタイミングに気の利いた企画を並べるというパズル的な側面もあり、順風満帆の船出だったが、立ち上がり当初に想定していなかったことが2つ起きた。

次女が高校のオーケストラ部に入ったことだ。そこで現役部員として過ごす2年間が、アラビアンナイト計画の会期中にすっぽりとおさまってしまう。親バカ丸出しで次女のオーケストラネタを発信していると、アラビアンナイト計画が薄まってしまうと憂慮した。事実、今日までアラビアンナイト計画に割って入るのは次女のオケネタだけにとどまった。そしてドイツ公演も、アラビアンナイト計画にとっては、想定外の出来事だった。嬉しい誤算でもある。

もうひとつの想定外が、東日本大震災。幸い我が家の被害は微々たるものだった。精神的にはいろいろとばたついた。その間何とか記事を切らさずに続けたことが、ブログ運営の自信にもなった。

あれから2年。

それにしてもとばかりに今更ながら思うのは、次女たちが入団して最初のスペシャルコンサート。娘の2つ上34代の引退公演だ。チャイコフスキーの第4交響曲。一昨年の今頃、スペシャルコンサートに向けて2ヶ月のラストスパートという時期に震災に見舞われ、しばらく練習がストップした。1年間の活動の仕上げの時期に、集まって練習できないということがどれだけ深刻なことか、今やっと実感でき始めている。あの日のチャイコの演奏が持っていた鬼気迫る説得力の意味がやっと腹に入ってきたところだ。

2013年3月10日 (日)

エック

ドイツ語「Eck」は、「角」という意味。地名語尾としては大勢力ではないが、「Deutsches Eck」だけは別格だ。

ライン川を北上する船に乗っていたとしよう。コブレンツを左に見て進むと市街を過ぎたあたりで、左側からモーゼル川が合流する。アルファベット小文字の「y」を逆さにした感じを想像するといい。合流点南側の陸地の形状が三角形になり、その突端が川に突き出すことになる。

これが「ドイチェスエック」だ。一帯は公園になっていて、ドイツ帝国皇帝ウィルヘルム1世の像がある。ライン川のこの一帯は古来独仏国境争いの真っ只中だったから、ラインの守りの要衝である。そこに皇帝の巨大な像が置かれていたらフランスは面白くあるまい。

サッカーの実況中にエックが聞こえてきたら、それはコーナーキックのことだ。

2013年3月 9日 (土)

コブレンツ

昨日の記事の中で「lenz」は地名語尾「春」だとはしゃいで、地名語尾「lenz」の実例を7つ挙げた。その中の6番目が「Koblenz」だった。よく調べるとコブレンツの場合は地名語尾「春」ではなかった。

ワインの大産地モーゼルは、モーゼル川沿いにある。ルクセンブルクから流れてきてトーリアでドイツに入る。そこから蛇行に蛇行を繰り返してここコブレンツでライン川に合流する。コブレンツという地名はラテン語で「合流」を意味する「Confluentes」がドイツ風に訛ったものだった。「春」とは関係がなくてがっかりはがっかりだが、別の意味で美しくもある。

フランク王国以前、ライン川をはさんでローマ人とゲルマン人がにらみ合っていた時代。最前線を指揮するローマ側の司令部がモーゼル川上流のトーリアにあった。ローマは兵士たちへの補給物資のうち、ワインだけ現地調達した。液体の運搬は大変だったからだ。モーゼルのワイン製造はこの時代に遡る。司令部のあるトーリアと最前線のラインを結ぶ大動脈こそがモーゼル川だったから、ラインとの合流点は物資運搬の終点として戦略上の要衝となった。そこに「合流」を意味する地名が発生するのは合理的だと思う。

コブレンツが合流点を表す地名である証拠がスイスにもある。バーゼルから東にライン川をさかのぼって行く。やがて南側からアーレ川が合流する。アーレ川とライン川が形成する角状の土地一帯が「Koblenz」という地名になっている。合流の概念でピタリだ。

2013年3月 8日 (金)

地名語尾「春」

「Lenz」には「春」という意味がある。ちょった洒落た言い回しらしい。元々「long」(長い)と通じているらしく、春になると日が長くなることから転じて「春」の意味が派生したされている。FALK社製20万分の1ドイツ道路地図の巻末索引の中で「lenz」を語尾に持つ地名が以下の通り7つある。

  1. Ehlenz
  2. Ellenz
  3. Erlenz
  4. Gablenz
  5. Gahlenz
  6. Koblenz
  7. Schefflenz

本日のこの記事をいつ公開するのか、タイミングをずっと計っていた。だからこそ今日。

昨日、昨年のドイツ公演で苦楽を共にした35代の先輩方をお送りする卒業式があった。次女たち36代は37代と力を合わせて、式典を盛り立てる演奏を披露した。35代の力強い牽引のもと、ファリャやショスタコを引っさげてのドイツ公演は、次女のオーケストラ生活にとっても、最大のハイライトだった。

35代のみなさまご卒業おめでとうございます。

2013年3月 7日 (木)

開墾地

土地の所有が人々の関心事だったことは容易に想像出来る。けれどもその土地が単なる荒地では意味が無い。耕作適地であることが大切だ。そこからの収穫物こそが富の源泉だからだ。もちろん牧草地でもいい。戦争は悩ましい。勝てば所領が増えるには増えるが、負けるリスクだってある。戦争あるいは相続に頼らずに所領を増やすのが開墾だ。開墾によって新たに獲得した土地が、旧来の農地と区別されることは自然なことだと思う。だから「開墾地」を意味する地名語尾が以下の通り多彩に分布する。愛用の道路地図の索引に現われる回数も添えておいた。

  1. rade 17箇所 エルベの東に集中。
  2. rath 47箇所 ラインの西に分布。
  3. reut 5箇所 バイエルン州にある。
  4. reute これも4箇所がバイエルン州だ。
  5. reuth 27箇所。ドナウ以北のバイエルン州に集中する。ワグネリアンの聖地「Bayreuth」が特に名高い。
  6. ried ドナウ以南のバイエルン州に29箇所。
  7. riede バーデンビュルテンベルク州「Burgriede」1箇所。
  8. rod ヘッセン州のライン北岸だけに17箇所。
  9. roda 31箇所がテューリンゲン州とザクセンアンハルト州に集中。
  10. roda 「o」にウムラウト。テューリンゲン州の「Grafenroda」1箇所。
  11. rode ザクセンアンハルト州に76箇所。
  12. rodt 7箇所のうち6箇所がラインの西。
  13. rot 4箇所全てバーデンビュルテンベルク州。「赤」ではない。
  14. roth 48箇所中ほぼ9割がラインラントプファルツ州。
  15. rott 地名語尾としては2箇所がシュレスヴィヒホルシュタイン州にあるが。「Rott」単独では南部にもある。
  16. rotte ザクセン州「Morgenrotte」1箇所。赤と解して「朝焼け」と読みたくなるが現実的ではあるまい。デンマーク語で「rotte」は「ネズミ」の意味でもある。

子音「r」で始まり、「d」または「t」で終わるという2音節というパターンが美しい。漫然と使われているのではなくて地域により棲み分けが起きている。同地区に重複分布しているのはさらに時代による区別があるかもしれない。みんな開墾地に関心があるということだ。

2013年3月 6日 (水)

ビュージンゲン

地名語尾「ingen」は、「~の土地」を意味するメジャーな地名語尾だが、シュヴァーベン地方にとりわけ濃厚に分布する。「ビュージンゲン」は「Busingen」(uはウムラウト)と綴られる南部の街だ。

ボーデン湖から流れ出るライン川だが、バーゼルまでは西に流れる。その間不思議なことに一部でスイス領がライン川の北側にはみ出している。シャフハウゼン地区がその代表だ。スイス領がドイツ領を侵食しているように見える。シャフハウゼン地区はせっかく大きくドイツ側にせり出しているのに、その中にドイツ領が小島のように孤立している地区がある。それが本日のお題「ビュージンゲン」地区だ。スイス領に囲まれたドイツの飛び地だ。囲んでいるスイス領(シャフハウゼン)自体もライン川とドイツ領に囲まれているから、複合飛び地に見える。

ビュージンゲン地区は第一次大戦後に、スイスへの帰属が住民投票で可決されたが、スイスが代替地を用意できなかったためにそのままドイツ領として残ったという経緯がある。住民は皆スイス領シャフハウゼンに依存して生活しているのだが、用いられる言葉はドイツ語になっている。

2013年3月 5日 (火)

熊の証言

地名語尾「in」を代表するのが、ドイツの首都「ベルリン」だ。エルベ川の東に存在する「in」は、土地の所有を表すという説も根強い。エストニアの首都タリンは「デーン人の土地」という意味らしい。それらを信じるなら「誰それの土地」「~の土地」の意味だ。「ing」「ingen」に相当する機能のスラブ版だと位置付けられる。

しからば語頭の「Ber」は何だ。

これは「熊」が有力だ。ベルリンは「熊のいるところ」だ。熊はゲルマン人にとって神聖な生き物である。崇拝の対象であると同時に「力」の象徴でもある。人間に一番近い動物だと認識されてきた。スイスの首都ベルンは、もろに「熊」の意味だ。

ベルンとベルリンのエンブレムには熊がデザインされている。

2013年3月 4日 (月)

ingen

ブラームスの元婚約者アガーテはゲッティンゲン大学の教授の娘だった。第4交響曲はマイニンゲンで初演された。これらの街の語尾には「ingen」がある。「ingen」は「だれそれの支配地」という意味がある。「ingen」のつく地名はドイツ南部、あるいは西部にとりわけ濃密に分布する。「ラインの西」「ドナウの南」に特に多い。

これらの土地が開かれたのは西暦紀元前後のドイツ史としては古い時期だという。古くから開けた肥沃な土地だということだ。おおむね人の住みやすい場所であったと言われている。

現フランス領アルザス・ロレーヌ地方は古来独仏両国の領有争いの場だった。ドイツ領であるときは「エルザス」「ロートリンゲン」と呼ばれていた。フランク王国を分割相続した3兄弟の長兄がロタールだった。彼は中央フランクを相続した。だからのその地域をロートリンゲンというと説明されている。

このことからも判るとおり、地名語尾「ingen」は、人名に付与されることにより土地の所有を表すことになる。土地の所有者はいつの時代も大きな関心事だ。だから地名になりやすいとも言えるが、地名語尾「ingen」の分布は奇妙だ。エルベ川とザーレ川を結ぶ線より東に出現しないのはよくあるケースとしても、ヘッセン州とテューリンゲン州付近が分布の空白になっている。そしてその外周とりわけラインの西とバーデン・ヴュルテンベルク州に巨大なコロニーがある。

これが不思議なものでバイエルン州に行くと末尾の「en」が脱落して「ing」になる。空白地だったヘッセン州とテューリンゲン州付近では「ungen」になり、エルベの東では「in」、ノルトラインやニーダーザクセンでは「um」に取って代わられると感じる。土地の所有を意味する語彙が空白ということはあり得ない。

2013年3月 3日 (日)

Geographische Namen

ドイツの地名を調べる過程で見つけた本。正確には「Geograpische Namen in Deustcheland」という。「ドイツの地名」とでもいうのだろうか。出版は泣く子も黙る安心のブランド「Duden」だ。318ページの大著なのだがペーパーバック版なので1500円のお値打ち価格。某通販サイトで見つけて即刻購入。もちろん全面的にドイツ語。英語すら現れない。

電子辞書片手にむさぼり読んだ。「地名発生の由来」がことこまかに載っている。ブラームス由来の地名を片っ端から調べたが、読み物としても抜群の面白さだ。今回のテーマ「地名語尾」執筆の大きな基盤になった。

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2013年3月 2日 (土)

水車小屋

ドイツ語で「Muhle」(uはウムラウト)と綴る。パンを焼くのに欠かせない小麦粉はここで作られる。集落ごとに1箇所はある感じ。人名になるときは「Muller」だ。「粉屋」の意味。重要度で言えば江戸時代の「米屋」にも匹敵しそうだ。「粉屋」と言えば村の名士でもあったし、やっかみの対象でもあった。現代のドイツで最も多い苗字は「Muller」さんだそうだ。全体のおよそ1.5%くらいがミューラーさんだという。

村に何箇所もないから「muhle」は土地の目印として最高で、地名にも色濃く痕跡を残す。「~muhle」あるいは「Muhle~」などのパターン。末尾の「e」が脱落することも多い。人名にもなっていてブラームスの伝記では必ず登場するクラリネット奏者は「ミュールフェルト」だった。

シューベルトは「水車小屋の娘」を礼賛するし、フャリャ「三角帽子」では、代官の横恋慕の対象が、「粉屋の女房」だった。

2013年3月 1日 (金)

船舶ギルド

記事「船橋考」で、デュッセルドルフのシフスブリュッケについて疑問を提起した。ライン川の船舶航行を妨げるような橋があり得るのかというのがその主旨だった。調べを進めていて面白い話にたどり着いた。

ライン川の船運が上流から下流まで一気通貫だという私の思い込みがどうやら間違いだった。現在でも国際河川であるライン川だが、当時はさらに多くの小国を貫流していた。川が国境を越えるたびに積荷に課税された。徴税のほかにもさまざまな既得権にさらされていた。そうした既得権のひとつが「船舶ギルド」だ。ケルンやマインツなどライン沿岸の有力都市には船舶ギルドがあり、荷役の独占が認められていた。航行する船の荷物は、船舶ギルド所属の船に積み替えねば、通行を許されなかったのだ。いわば「積み替え特権」である。つまり船舶ギルドが支配する都市付近では強制的に積み替えが発生するということに他ならない。先般話題にしたデュッセルドルフに船舶ギルドがあったかどうか未確認だが、運搬船がライン川を積み替え無しで行き来するという前提はそもそも疑ってかかるべきだとわかる。むしろシフスブリュッケの存在が、デュッセルドルフでの積み替えの有力な物証に見えてきた。

陸上輸送における関税は、ブラームス生誕の翌年に成立した関税同盟によって撤廃されたのに対して、内陸水上交通には長く積み替え特権が残ったとされている。この慣行が完全に撤廃されるのは、19世紀末だった。例のシフスブリュッケの撤去が1897年だったことと不気味に符合する。

それでもなお、この橋が、撤去と架設を頻繁に繰り返していた可能性は否定できないものの、疑問は感じてみるものだ。調べてみるとなるほどなことが多い。

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