ユーリエの結婚
1869年9月22日シューマン夫妻の3女ユーリエがイタリアの貴族と結婚した。これにショックを受けたブラームスの苦悩から「アルトラプソディ」op53が生まれたことは割と知られている。ユーリエはブラームスのひそかな恋慕の対象だった。
未明にバイエルンミュンヘンがサッカーの欧州チャンピョンになった昨日、30年来の知人のご子息の結婚披露宴に招かれた。父の勤務先の社宅に住んでいたどいう縁で、親戚同然のつきあいが続いていた。生まれた頃から孫同然にかわいがってきた母と参列した。
新郎新婦の思いが詰まったあっという間の3時間半だった。新郎のプロフィール紹介で言及された母はいきなり涙。30年続いた親戚付き合いの集大成。当時生まれたばかりだった新郎が、そのつきあいの厚みをキッチリと呑み込んでくれていたことが母の涙の理由。親戚でもないのに涙腺を決壊させまくるよそのおばさんだ。新婦への説明、さぞ苦労したことだろう。
初対面の新婦の人柄さえ偲ばれる何とも暖かな手作り感覚あふれる披露宴。驚いたのは新婦側の余興。某大学チアリーディング部出身の新婦の仲間が披露した本番さながらのパフォーマンス。全国トップに君臨する同部の実力を生で体験させてもらった。現役を退いてから少しブランクがあるという新婦もドレスで参加という熱い熱いノリ。始終笑顔を絶やさなかったメンバーの一人が、新婦への呼びかけのところで絶句。現役時代髣髴のエネルギーと絆をまざまざと見せ付けられた。部活っていいなあ。思わずブラボーを奮発した。
最後は新婦の手紙朗読、花束贈呈、新郎父挨拶と進み、新郎が締めてお開き。若い二人を育んだ両家の暖かな家風を満喫して帰宅。
ブログ「ブラームスの辞書」的に素晴らしいことが一つ。終始笑顔で披露宴をリードした感のある新婦の名前は「友里恵」という。もちろん「ゆりえ」と読む。「ユーリエ」だ。最後の手紙朗読のとき、新婦自らの口から「この名前を付けてくれた両親への感謝」が語られた。「おかげで素晴らしい友達に沢山出会えた」と。このお嬢さん只者ではない感じ。
でかしたぞ、かックン。ユーリエを射止めた君にブラームスのご加護を。
サッカーチャンピオンズリーグの話と、披露宴の話、そして部活の凄さに一気に言及する絶妙のネタ。よって地名はお休み。
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<ユーリエの夫さま
これはこれは新郎自らコメントとは恐縮です。
素晴らしい披露宴でした。細部まで練り上げられた披露宴、膨大な準備があったことでしょう。気持ちが伝わってまいりました。
おぉ。新婦はアドリブでしたか。厳しいトレーニングで身についた感覚は、時間がたっても消えないものなのですね。
招待状をいただいて新婦のお名前を知ったときから、披露宴翌朝の記事は、ユーリエ系の無理やりこじつけしかないと決めていました。
みなさまのご多幸とご平安をお祈り申し上げます。
投稿: アルトのパパ | 2013年5月28日 (火) 21時23分
達哉兄ちゃん、おばちゃん!お忙しい中、遠いところ披露宴に出席してくれて本当にありがとうございました!幼少時代からとってもとってもお世話になった、ユーリエの夫こと、新郎・和明です。
出席してくれた家族、親戚、上司・先輩、同期、友人、お世話になった皆さんみんなのおかげで、本当に一生忘れられない披露宴になりました!こんな素敵な式に、お二人をご招待することができて、僕は本当に幸せです!本当にありがとうございました!ユーリエも、ブログを読んで感激していました☆☆☆
(新婦の余興参加は、練習なしのアドリブだったそうです!!驚)
今度写真をお送りしますので、楽しみにしててください!
それでは、お元気で♪
投稿: ユーリエの夫 | 2013年5月28日 (火) 21時06分