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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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2013年5月31日 (金)

パングラム

まずは以下のドイツ語をお読みいただく。

Victor jagt zwolf Boxkampfer quer uber den Sylterdeich.

例によって赤文字はウムラウトだ。意味は「ヴィクターはジルトの堤防を横切って12人のボクサーを追いかけた」くらいの意味。アルファベット26文字に3種類のウムラウトがすべて使われているこうした文をパングラムという。日本で言うと「いろは歌」みたいなものだ。フォントの見本にしばしば使われる。

さてさて上記文章の末尾に「Sylterdeich」とあるのはジルトの堤防だ。「Sylt」は島の名前。ブラームスの弟子グスタフ・イエンナーの出身地だ。この島はデンマークとの国境に近いユトランド半島の付け根西側に位置する。現在ドイツ本土とは「ヒンデンブルクダム」という全長11kmの細長い堤防でつながっている。堤防上に鉄道が敷設されているものの道路はない。自動車を鉄道に載せて走るようになっている。先ほどのパングラムに現れた「ジルトの堤防」とは多分「ヒンデンブルクダム」のことだ。

「ダム」も「ダイヒ」もときどき地名語尾になっている。

2013年5月30日 (木)

スケーターズワルツ

小学校の音楽の時間に習った覚えがある。作曲者はワルトトイフェルであることも習った。「Waldteufel」と綴る。ストラスブール生まれのフランス人なのだが、スペリングから見てドイツ系だ。申すまでも無く「Wald」は「森」の意味で、後半の「Teufel」は「悪魔」だから、合わせて「森の悪魔」くらいの意味になる。ちょっと意外。

この「Teufel」はドイツの地図の中にときどき現れる。森の中の建造物に「Teufelsfels」(悪魔の岩)、「Teufelskanzel」(悪魔の説教壇」)、あるいは「Teufelsmauer」(悪魔の壁)という具合だ。大抵の場合これらは古代ローマの遺跡。森の中に点々と砦や城壁の廃墟が放置されているのを見た昔の人が命名した。当時の知識人の代表だった村の教会の牧師さんも由来を説明できずに、「あれは悪魔の仕業」とでも説明した名残だ。キリスト教の世界観から逸脱した建造物だから無理も無い。

「悪魔」という意味の特殊さから考えて地名にはなりにくいのだが、ベルリンの西北西およそ40kmのあたり一帯が、「Teufelsbruch」と名づけられている。「Bruch」は「湿地」という意味だ。その中央に「Teufelhof」(悪魔の庭)という街まで実在する。

今日5月30日はブログ「ブラームスの辞書」の創立記念日。2005年創立なので今日で満8年だ。

2013年5月29日 (水)

アイフェル火山群

火山はドイツには無縁と思っていたがどうもそうではなかった。ルクセンブルクと国境を接するあたり、と申すよりワインの大産地モーゼルの北側に広がる丘陵地帯には大小340箇所もの火山がある。ここ1万1千年ほど噴火していないが、れっきとした火山だ。現在では小山や湖としてしか認識されていないようだが、噴火の可能性だけは残っているそうだ。

自動車レースで名高いニュルブルクリンクから東北東に100kmの位置にあるラーハ湖(LaacherSee)もそうした火口湖のひとつだ。ここがアイフェル火山群では最も最近およそ1万1千年前に噴火した火口だと言われている。

こうした火口湖または火口そのものを「maar」と呼んでいる。直径数百mの湖の一部で地名語尾にもなっている。

この火口群がワイン大産地モーゼルに隣接することには大きな意味がある。モーゼルワインの高品質が、同地方の火山性土壌によるところが多いといわれているからだ。

2013年5月28日 (火)

見張りは高いところから

地名語尾「wart」の実例を調べた。「見張り」を意味する地名語尾だ。「wacht」も同様の意味らしい。

  1. Hochwacht シュレスヴィヒホルシュタイン州
  2. Hohenwart バイエルン州
  3. Hohenwarte バイエルン州
  4. Hohenwarth バイエルン州
  5. Hohenwarthe ザクセンアンハルト州
  6. Konigswarth ザクセン州
  7. Wolfswart ザクセンアンハルト州 

見ての通り大変美しい。見張りに先行するのは「高い」に相当する言葉が多い。見通しの利く場所に付与されたと見て矛盾がない。さらに上記6番は「王の見張り」にも説得力がある。7番はさらに興味深い「狼の見張り」だ。テューリンゲン、ニーダーザクセン、ヘッセンの3州が接するあたり、ワルプルギス「魔女の宴会」で名高いブロッケン山の西南西15kmにある。

2013年5月27日 (月)

ユーリエの結婚

1869年9月22日シューマン夫妻の3女ユーリエがイタリアの貴族と結婚した。これにショックを受けたブラームスの苦悩から「アルトラプソディ」op53が生まれたことは割と知られている。ユーリエはブラームスのひそかな恋慕の対象だった。

未明にバイエルンミュンヘンがサッカーの欧州チャンピョンになった昨日、30年来の知人のご子息の結婚披露宴に招かれた。父の勤務先の社宅に住んでいたどいう縁で、親戚同然のつきあいが続いていた。生まれた頃から孫同然にかわいがってきた母と参列した。

新郎新婦の思いが詰まったあっという間の3時間半だった。新郎のプロフィール紹介で言及された母はいきなり涙。30年続いた親戚付き合いの集大成。当時生まれたばかりだった新郎が、そのつきあいの厚みをキッチリと呑み込んでくれていたことが母の涙の理由。親戚でもないのに涙腺を決壊させまくるよそのおばさんだ。新婦への説明、さぞ苦労したことだろう。

初対面の新婦の人柄さえ偲ばれる何とも暖かな手作り感覚あふれる披露宴。驚いたのは新婦側の余興。某大学チアリーディング部出身の新婦の仲間が披露した本番さながらのパフォーマンス。全国トップに君臨する同部の実力を生で体験させてもらった。現役を退いてから少しブランクがあるという新婦もドレスで参加という熱い熱いノリ。始終笑顔を絶やさなかったメンバーの一人が、新婦への呼びかけのところで絶句。現役時代髣髴のエネルギーと絆をまざまざと見せ付けられた。部活っていいなあ。思わずブラボーを奮発した。

最後は新婦の手紙朗読、花束贈呈、新郎父挨拶と進み、新郎が締めてお開き。若い二人を育んだ両家の暖かな家風を満喫して帰宅。

ブログ「ブラームスの辞書」的に素晴らしいことが一つ。終始笑顔で披露宴をリードした感のある新婦の名前は「友里恵」という。もちろん「ゆりえ」と読む。「ユーリエ」だ。最後の手紙朗読のとき、新婦自らの口から「この名前を付けてくれた両親への感謝」が語られた。「おかげで素晴らしい友達に沢山出会えた」と。このお嬢さん只者ではない感じ。

でかしたぞ、かックン。ユーリエを射止めた君にブラームスのご加護を。

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サッカーチャンピオンズリーグの話と、披露宴の話、そして部活の凄さに一気に言及する絶妙のネタ。よって地名はお休み。

2013年5月26日 (日)

FranzJosephshohe

オーストリア最高峰グロッスグロックネルはザルツブルクの南南西およそ80kmに位置する標高3798mの秀峰。富士山より22m高い。周囲は国立公園になっていてオーストリア屈指の景勝地。

この景色を見にわざわざ皇帝がやってくるほどだ。さすが登頂はしなかったが、東およそ5kmのビューポイントから絶景を堪能した。それが本日のお題「FranzJosephshohe」だ。最後の「o」はウムラウトする。「hohe」は高地だから、フランツヨーゼフの高地という意味だ。標高2369mのこの高台に皇帝フランツヨーゼフ1世が皇妃シシィを連れて行幸した。

由緒正しき絶景である。

お気づきの向きも多いと思う。このところブログ「ブラームスの辞書」は「山関連」の記事が多い。

2013年5月25日 (土)

ウィルヘルムスヘーエ

「Wilhelmshohe」と綴るドイツの地名。「o」はウムラウトだ。地名語尾「hohe」は、「高地」「丘」くらいの意味だから全体で「ウイルヘルムの丘」「ウイルヘルム高地」とでも解すればいい。カッセルの西郊にある標高500mほどの山。山頂にヘラクレス城という宮殿がある。

1870年9月1日普仏戦争の天王山ゼダンの戦いで、ナポレオン3世が捕虜になった。プロイセンの完勝だ。ビスマルクとナポレオン3世の会見はゼダン西方の小村ドンシュリ。その後ビスマルクはウイルヘルム1世とナポレオン3世をベルヴューまで馬車で護送する。捕虜とは言え、フランス皇帝だから、そこそこキチンとした待遇だ。ビスマルクはナポレオンの乗る馬車の右側を馬で帯同した。

やがてナポレオン3世が幽閉されたのが先のヘラクレス城だ。フランス皇帝が幽閉されるのがウイルヘルムヘーエとは手厳しい。当時黙ってウイルヘルムといえばプロイセン王ウイルヘルム1世に決まっている。さらにこの地はウエストファリア王時代にナポレオンが使っていた城に他ならない。当時はこの同じ場所がナポレオンスヘーエと呼ばれていた。

ベルサイユ宮殿においてドイツ帝国皇帝即位式を挙行した影に隠れているがこちらもフランス国民をいたく傷つけたに違いない。英仏間の国際特急のロンドン側の起点がワーテルロー駅だったことをフランス国民は長く気にしていたくらいだ。こうしたさりげない仕打ちは、やられた側の心に長く残る。

さてさてフランス皇帝を捕虜にして浮かれる暇もなく頭を抱えたのがビスマルク。普仏戦争はプロイセンの形勢がいいうちに、さっさと講和を考えていたのに、和平交渉の相手が捕虜になってしまったからだ。案の定フランスは即刻共和制に移行してしまったから、とらわれのナポレオン3世を交渉の材料にすることが出来なくなった。

2013年5月24日 (金)

低い山

愛用のドイツ道路地図では「▲」は「山頂」の印。日本と同じである。ドイツ最高峰のツークシュピッツェには「▲2962」と添えられていて、同峰が標高2962mであることを明示している。ドイツ国内の山でこの値を超えるケースはない。

ということは、つまりドイツ国内の山でこの値が最も小さくなる山が「ドイツで最も低い山」ということになる。愛用のドイツ道路地図には相当な数の「▲」が記載されているが、これを全部調べればよい。何もドイツ全土を隈なく見る必要は無い。低地が広がっている北部、とりわけ海岸部付近を当たればよかろうと探索を始めた。

下記の一覧表をご覧いただきたい。

  1. Kleiseer koog
  2. Grossbrensburg ペルヴォルム島
  3. Osterschutting ノルトストラ島
  4. Elizabeth-Sophien-Koog
  5. Ockholm

これら全て「▲」の傍らに「0」と書かれている。つまり「標高0mの頂き」だ。最初に一つ見つけたときは誤植かと思ったが、次々と5つ見つかるに及んで誤植では済まされなくなった。「▲」を打つ以上それは、周囲から少しは盛り上がった高まりである必要がある。その癖そのてっぺんが標高0mとなると、条件は限られてくる。つまり周囲の平地が海面下で、そこに確かに存在する頂きに違いない。これらこそがドイツ最低の山。

おバカな探索だが、興味深い事実も浮上した。上記5箇所はユトランド半島の付け根西側の海浜部に集中している。この一帯には地図で見ただけでも顕著な特徴がある。川と言う川がみな目一杯蛇行し、それらが運河やクリークで網の目のように結ばれている。加えて湿地を示す「青い横線」が薄皮のようにまつわりつく。それらを縫うようにして小道が伸び、そこにへばりつくように家々が散在する。「koog」「moor」「deich」「pain」など低湿地特有の地名がびっしりと並ぶ一方、耕作適地を示す「dorf」は稀にしか現れない。

現地に行かず地図だけでどれだけ妄想が広がるのだろう。

  • 2013年5月23日 (木)

    ゼロメートル地帯

    ブラームスの故郷ハンブルクからエルベ川を下る。間もなく海というところで、右手からキール運河が合流する。ブルンスヴュッテルという街が目印。その街からキール運河を10kmほど東北に遡ったあたりの東一帯が、本日の話題。

    ノイエンドルフ・ザクセンバントという村のほぼ中央、地図上に「Tiefste Deutsche Landstelle -3.6m」と書かれていて、「名所」を示す星印が打たれている。これがドイツで最も標高の低い場所。海抜-3.6mだ。あたりは川や運河に囲まれ、湿地を示す記号も見られる。

    昨日ドイツ最高峰を話題にしたので、今日は最も低い場所の話。

    2013年5月22日 (水)

    Zugspitze

    「ツークシュピッツェ」とでも発音するのだろう。ドイツ最高峰として独墺国境にそびえる2962mだ。ミュンヘンの南西およそ100kmの位置。ロープウエイなどの発達で、割と気軽に登頂できるらしい。語尾「Spitze」は、「頂き」を意味する。地名語尾に入れてあげてもいいかもしれない。

    ブラームスの伝記を読んでもこの山のことは言及されないから、おそらくブラームスは登ったことがない。本日は標高2962mにちなむ2962本目の記事ということで無理矢理言及することにした。「地名語尾特集」真っ只中に2962本目が到来する偶然を味わっている。

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    愛車のメーターが「2962」。トリップメーターが「5.7」というシャープないたずら。

    2013年5月21日 (火)

    湿地を干拓

    耕作地を増やす行為としての開墾は、荒地を切り開くというイメージだ。これに対して湖水を含む水面や湿地を埋め立てるという方法がある。単に土砂を運び込むという方法と、堤防を造って水を追い出すという方法がある。後者が「干拓」と呼ばれている。

    低湿地が多いドイツ北部では、荒地を切り開く開墾よりは、干拓か埋め立てで湿地を改良するほうが現実的と思われる。実はこの干拓こそが地名語尾「koog」である。シュレスヴィヒホルシュタイン州やメクレンブルクフォルポムメルン州に頻出する。人名を先頭に据えて「koog」で締めくくった地名が多い。功績のあった人や領主などその手の地名は日本にも多い。

    堤防を造ってその内側の水を抜く以上、堤防が後に残る。堤防に囲まれた土地を意味する地名語尾「hude」も、「koog」の密集する地区に見られる。ブラームスの故郷ハンブルクの南西に「Buxtehude」がある。バロック時代の巨匠の名前と同じだとはしゃいだ記憶があるが、地名語尾的にもお宝だった。堤防に囲まれた土地だから日本でいう「輪中」の可能性もあるから、地図で実態を確認したところ大きな川に囲まれてはいないので「輪中」の可能性は低い。

    さて干拓によって「koog」に仕立てられる前の湿地も地名語尾になっている。「moor」または「moos」がそれだ。北部では「moor」になる一方で、南部では「moos」になる。

    耕作はもちろん建築や通行にも適さない湿地がどうして数多くの地名になっているのか不思議だったが、どうやら野太い必然が横たわっていた。

    こうした沼沢地は、古代においては外敵の侵入を妨げる天然の掘割の役目を果たしていた。やがてそうした沼沢が神聖視されるようになり、祭祀の場となっていった。周囲を小高い丘に囲まれた概ね直径50m以内の沼が、聖地として認識され、夥しい供物が投げ込まれた。物ばかりではなく、生贄も葬られた。

    19世紀から20世紀初頭にかけて産業革命の進行と共に燃料として泥炭が用いられるのと平行して、ドイツ北部の沼沢地から夥しい遺物が発見された。泥炭から発する腐植酸と、カシワの棺に由来するタンニンの作用で、2000年前の遺体が極上の保存状態で、700体以上出土している。

    つまりそれらについての学問が沼沢考古学と称されている。

    ブラームスの故郷を含む北部ドイツ一帯にはこうした沼沢地が密集している。

    2013年5月20日 (月)

    泥炭地

    植物の遺骸の堆積する速度に、微生物による分解が追いつかない場合に生成されるという。低温の湿地帯に見られる。泥炭は石炭生成の初期段階とも言われて言る。燃料としての品質は高くないが、北欧諸国では燃料として使われている。ドイツの製塩業では塩水を煮詰める際の燃料として使われたほか、泥炭に含まれる塩分を得る目的で焼かれたこともあるという。

    泥炭地はわずかな荷重で地盤が沈むため建物や道路の建設には向いていない上に、耕作適地とも言えない。

    泥炭はドイツ語で「torf」という。これが無視できない数の地名語尾になっている。シュレスヴィヒホルシュタイン州に集中する。北部の泥炭産地と解してひとまず矛盾が無い。

    耕作適地としての「dorf」と紛らわしい。もともと「torf」だった地名が、このましからざる印象をさけて「dorf」に転訛したケースが無いか探している。

    2013年5月19日 (日)

    祝50万アクセス

    ブログ「ブラームスの辞書」開設以来のアクセス数が昨日50万に達した。2005年5月30日ブログ開設から2911日目。およそ7年11ヶ月。

    「ブラームスネタに特化する」を標榜しておきながら、ここ2年次女の高校オケネタに偏り気味という傾向にも関わらず、いやそれだからこそ日々の分厚いアクセスに繋がっているという後ろめたさ。それでも「アクセスは無言の支持」と開き直って走り続けてきた。私の親バカにお付き合いいただき、日頃のアクセスに感謝します。既に私が「音楽が好きで子煩悩なドイツラブのおじさん」であることが伝わっていれば本望だ。

    昨年一年間アクセスが好調だった。1日平均250アクセスを記録したのは、あきらかに次女の高校オケネタの影響。今年は昨日までさらにそれを上回る260件/日のペースを維持している。次女が高校オケ現役引退した今、そちら系のネタは今後相対的に頻度を下げることになる。いわば本来の姿に戻るということなのだが、アクセスのペースは落ちると思われる。それでも次の50万アクセスは、もっと短期間およそ5年少々で達成出来ると思う。記事備蓄の状況から見て、5年間の確保については楽観している超プラス思考。

    さて5月12日第20回スペシャルコンサート以来昨日まで、次女の高校オケネタを連ねてきた。そりゃあまあ、思いのタケをぶつけるだけなら、いくらでも記事は湧いて出る。どこかでけじめをつけて地名語尾特集に復帰せねばキリがない。折に触れてまた回想することは間違いないが、今日で一区切り。

    2013年5月18日 (土)

    走馬灯

    次女たち36代のスペシャルコンサートが終わった。親の私が達成感と脱力感。ヘロヘロの気持ちに鞭打って36代のこの1年をまとめた。

    1. スペシャルコンサート →こちら
    2. 駅コン →こちら と こちら
    3. 美術館コンサート →こちら
    4. 文化祭コンサート →こちら
    5. 福祉施設訪問 →こちら
    6. コンクール県予選 →こちら
    7. 全国大会リハーサル →こちら
    8. 全日音研 →こちら
    9. 全国大会 →こちら
    10. オーケストラフェスタ →こちら
    11. アンサンブルコンテスト →こちら
    12. ジョイントコンサート →こちら
    13. 合同定期演奏会 →こちら
    14. スペシャルコンサート →こちら

    ただただ、感慨深い。東日本大震災のわずか1ヵ月後に始まった次女の高校オケ生活。ブラームスとは関係の無い記事ばかりなのに、アップしておいたおかげで、こうして懐かしく振り返ることが出来る。ちなみにその前、36代が1年生時の記録はこちらから。

    本日は演奏会の記事だけをリンクしたが、その他次女の高校オケ生活に関わる全ての記事はカテゴリー「743高校オケ」で振り返ることが出来る。とっておきのドイツネタはこちら

    もちろん、演奏会の記録だけを親の立場からトレースしただけでは、あまりにも表面的だ。その内側にある部活の実態は本当のところうかがい知ることは出来ないけれど、それくらいの距離感でちょうどいい。

    世界一の高校オケ(当社調べ)に2年間密着した記録。

  •  
  • 2013年5月17日 (金)

    朧月夜

    まだまだ続き。娘らオケの第20回スペシャルコンサートの話。彼女らのコンサートでは、開演前、休憩時間、閉演後にも演奏がある。お客様がしばしくつろぐロビーで小規模なアンサンブルを披露する。通称「ロビコン」。木管、金管、弦、打などのセクションごとの演奏だ。

    第一部と第二部の間の休憩時間に弦楽器のメンバーによる演奏があった。唱歌「朧月夜」の弦楽合奏版だ。

    いやあ、これが必殺の「涙腺キラー」だった。難儀なテクを駆使するわけではないが、心に届くものの質において最強の演奏。当然のごとき暗譜演奏で、プレイヤー相互の緊密なコミュニケーションが前面に押し出される。強引なところは全く無し。押し付けがましさとは無縁のきめ細な音色。後から気づくのだが、コンミスだけがひそかに別のパートを弾くという構成。それでいて周囲と音色が溶け込んでいるからソリスティックな見てくれにならない。親しみ易い旋律がじかに心に響く。

    この質感がオケのベースにあるということだ。オケの持つ底力の一つに違いない。いくつもある引き出しを今日は全部聞かせますという気迫を感じた。

    次女はセカンドヴァイオリンで演奏に参加した。終始絶やすことのなかったかすかな笑みと、ボウイングとヴィブラートの滑らかさが心にしみる。仲間とのアンサンブルを心から楽しんでいることは明らか。お互いの信頼関係が半端ではない感じ。力技とは対極の位置ある「朧月夜」だった。これがあの子の音楽なのだ。

    ロビコンはこのあと、合唱部の演奏に移る。4日に定期演奏会で聞かせてもらったばかりの合唱部。3年生抜きのメンバーなのだが、やはり勘所はキッチリと押さえてくる。「ホタル来い」と「五木の子守唄」を披露してくれた。演奏がどうのというより、所作立ち居振る舞いが見事。「本日はスペシャルコンサートおめでとうございます」「20周年とお聞きして駆けつけてまいりました」という口上が秀逸。こういう言葉が自然に放たれているのが素晴らしい。演奏のキリリとした透明感と合わせて、心を打たれた。ブラボーを入れそこなったのが心残り。

    2013年5月16日 (木)

    マエストロ

    娘らのオケの顧問でもある指揮者は、高校の音楽の先生。音楽家であるのと同等かそれ以上に優秀な教育者。部活動という性格上、2年でメンバーが完全に入れ替わってしまうオケを、毎度毎度高みに導いてくれている。代それぞれにメンバー数も、生徒のキャラも違う中、多感な乙女たちを纏め上げ、まばゆいゴールに到達する。

    メンバー全員に向かうべき頂上を指し示す。生徒は一人ひとりの立場からそれぞれの方法で頂上を目指す。生徒の自主性に任せ緩やかに穏やかに目を光らせる。時に家父長であり、時に担任であり、そしてもちろん指揮者。そしてかなりのアイデアマン。何かのサプライズをいつも考えている感じ。生徒は慣れたものだ。少々のハプニングがあっても「また先生のサプライズか」くらいに動じない効果もあるらしい。

    彼が次女たちオケに着任して最初に指導したのが30代だったというから、教え子の数も増えてきた。我々が先日味わったようなコンサートが7年連続しているということだ。その7年を支えたメンバーの中から先般のコンサートでは、78名がOGオケとして演奏を披露した。ホルストの「火星」と「木星」。手の内の知り尽くした仲間が集まったクラス会のノリなのだが、演奏は素晴らしい。「現役と違って練習時間が短いから」とメンバーは謙遜するが、演奏には大人の香りも備わっていた。たった7回の合奏練習だったと聞いて驚いた。常設のオケではないのがもったいないくらい。大学オケの水準を軽々超えて見せて、振り返ってウインクかます感じ。過去4回聴いた中では最上の出来だったと思う。現役の演奏とはまた一味違う味わいがあった。

    すべてマエストロのお人柄。

    2013年5月15日 (水)

    モードチェンジ

    5月12日の日曜日にスペシャルコンサートを終えた次女たち36代は、これにて部活動を引退するのだが、昨日14日は部活に出た。そこで行われたのは練習ではなくて「引退式」という彼女たち伝統の儀式。

    ここで受験生モードに切り替える。見守る後輩たちは、3年生のそうした姿を目にすることで、この先オケを背負う自覚を新たにする。

    子供たちはおそらくこれで切り替わる。

    問題は親の側の切り替えだ。

    2013年5月14日 (火)

    これが飲まずに

    会場とのお約束もあって、次女たちはスペシャルコンサート終了後、長くホールにとどまることができない。いつまでも余韻に浸りたいところなのだが、そうも行かない事情がある。山ほどもらったプレゼントを手にホール横の広場に一旦集まる。その場でお互いの健闘を称えあう。仲間同士はもちろん、親もOGも自然とそこに集まってくる。

    晴天の空の下、あちこちに輪ができる。別れ難いのだ。誰もが人と触れ合っていたい気持ちになった。演奏の主役36代、37代はもちろん、裏方に回った1年生38代、OG、後援会などなどそれぞれの立場で集った。やがて生徒たちだけの輪が出来た。先生方、生徒3役、後援会長が挨拶でお開きにはなるのだが、やはりまだまだ話は続く。

    長く苦楽をともにした生徒たちはともかく、それを見守り続けてきた親たちの間にも一体感が芽生えていることは既に何度も申し上げてきた。スペシャルコンサートはそうした各人の思いの交差点でもあった。

    健闘を称えあう娘たちを見守りに集まった親たち同士が、打ち上げに流れ込むのはとても自然だ。子どもと水入らずの時を過ごしたい人、演奏会に呼んだ知人との食事に流れる者、田舎から招待した祖父祖母と時間を過ごす者などさまざまだが、やはり私はたった今の演奏を肴に一献傾けたいほうだ。

    同士は簡単に募れる。総勢11人で、近くの居酒屋に流れる。後から顧問・指揮者も合流してたった今終えたばかりのコンサートを肴に語らった。

    2013年5月13日 (月)

    止めたい時間

    昨日、次女の高校オケの第20回スペシャルコンサートがあった。2年間夢中で登り続けた末のゴール。娘が高校オケに入るなどという極上の事態を味わいつくした2年間の集大成。頂上で見えた絶景に言葉を失った。私がブログで事前告知をしたからかどうかわからぬが、天気にも後押しされて、1475名収容の会場がほぼ満席になった。足をお運びいただいた全ての方々に御礼申し上げます。

    <第一部>

    • (1)マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より前奏曲
    • (2)マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲 
    • (3)プッチーニ作曲 歌劇「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ
    • (4)ハチャトゥリアン作曲 「仮面舞踏会」
    • (5)リスト作曲 交響詩「レ・プレリュード」
    • (6)ホルスト作曲 組曲「惑星」より火星 OGオーケストラ
    • (7)ホルスト作曲 組曲「惑星」より木星 OGオーケストラ

    <第二部>

    • (8)「八重の桜」
    • (9)ディズニープリンセスメドレー
    • (10)「レ・ミゼラブル」メドレー

    <第3部>

    • (11)ボロディン作曲 交響曲第2番

    <アンコール>

    • 卒業演奏
    • ラデツキー行進曲

    何と幸せな子どもたちなのだろう。子どもの幸せを願わぬ親はいない。乙女たちの幸せそうな姿をただただ、見つめた濃密な3時間。この若さでこういう音楽の世界に身をおけた幸せは、傍で見ていても明らか。「メンツ」「曲」「気合」音楽の3要素が全て高い水準で揃った彼女らだけのワールド。

    今回は第20回という節目のスペシャルコンサートということで、同校オーケストラ部創設にとりわけ深く関わった先生をお呼びして上記の(2)と(3)を指揮いただいた。レジェンドとも申すべき先生の指揮で、これまた同校オーケストラ部出身のソプラノ歌手のとの競演が実現した。過去の功労者への敬意はオケの土台を強化する。

    前半のヤマ何と申してもリスト「レプレリュード」。大人が勝手に思い描く限界の斜め上を行く出来。意欲とテクニックが高い水準でバランスした演奏だった。力任せでない丹念な音作りなのだが、はじけっぷりも半端ではない。何より感じるのはオケの推進力。メンバー全員が同じ星を見ている。一言で申せば「横綱相撲」。

    シリアスな作品でディズニー、大河ドラマ、レミゼラブルというポピュラーを挟み込むというプログラミングも練り上げられたものだ。どれも丹念に細部まで作りこまれた演奏。

    ラストには満を持すボロディン。彼女ら36代は震災の影響で部員が極端に少ない。当人たちの努力や能力以前のハンデを抱え続けた2年間だった。上の代と下の代に支えられ、そこをウィークポイントにしない決意で乗り越えてきた。第一楽章は、そうした乙女たちの気概に満ちた演奏だった。いったいどれだけの人が、そのハンデを感じただろう。

    4楽章が始まった時、「時間よ止まれ」と思った。娘らのオケ部現役が終わってしまうという思い。娘がこの中にいるというだけで満足で、娘がどうのという感慨はとっくに消し飛んでいた。みんな丸ごと真空パックにでもしたい感じ。言葉になんかならないのを無理やり文字にしている。どう単語を組み合わせても塗り残す。

    演奏後、引退する36代3年生全員を顧問指揮者がステージ上でねぎらう儀式、通称「ハグタイム」に突入。指揮者がメンバーをかき分けるように全員のそばに立ち寄り、あるものにはハグ、あるものには手を取って上に掲げる。3年生たちは涙、涙、涙。その間もちろん万雷の拍手なのだが、そこでサプライズ。かすかに音楽が流れてきたのだ。スピーカーを通じてなのかと思ったら3年生を取り巻くように配置していた37代2年生が、「メモリー」を生演してくれていたのだ。もちろん指揮無しで、泣きながら弾いてくれている2年生もいる。ブラボー100回分に匹敵する2年生の真心。これには言葉を失った。まさにこれが絵として絶景だった。何という暖かな光景だろう。このことを受容し、はっきりと感動の事実を伝えることが親の役目。

    親冥利、おめでとう36代。ありがとう37代。ようこそ38代。

    コメント募集

    この度娘たちは無事引退となりました。1475席実質満員というこれ以上望みようのない舞台となりました。ここに改めてお礼申し上げます。

    足をお運びいただいたみなさまはもちろん、日頃ブログを訪問してくださる方々のコメントをお待ちしています。

    演奏会についてのご感想の他、高校オケ関連のコメントをお寄せいただき、長く保存したいと考えています。

    是非お気軽に。

     

     

    2013年5月12日 (日)

    決勝戦の朝

    雨は上がった。

    本日13時から、次女たち36代のラスト公演スペシャルコンサート

    尊いのはここまでの過程。

    演奏を磨き上げて行く道のりで掘り出した宝物の数々。

    だから本番で何が起きようとも、私は乙女たちの演奏を支持する。

    断固支持する。

    敗者なき決勝戦。

    まだ間に合う人は何卒。

    2013年5月11日 (土)

    ケルト語とスラブ語

    地名語尾を厳密に調べようと思ったとき、常に頭に入れておかねばならないことは外国語の混入だ。とりわけ英語、フランス語には注意が要る。歴史的に見るとラテン語やスラブ語がこれに加わる。

    ケルトはゲルマン人とローマ人によって欧州大陸を追われ、現在はブリテン島の北部かアイルランドに住んでいる。カエサルが「ガリア人」と呼んだ人々とほぼ一致しているらしい。欧州の地名にはケルト語の痕跡が色濃く残る。街の名前よりも山や川の名前に著名なものが多い。有力な自然地名がケルト語由来になっている。

    ケルト語の普通名詞が現代の地名にそのまま投影されている。

    1. Vien オーストリアの首都だがケルト語で「森」
    2. Alp ケルト語で「岩山」
    3. Rhein ケルト語で「流れ」
    4. Zurich ケルト語で「水」
    5. Bonn ケルト語で「大きな集落」
    6. Donau おそらくケルト語で「川」か?

    これらは地名語尾をドイツ語で発想しても混乱が増すばかりだ。

    あるいはスラブ語。

    11世紀に起こった東方殖民は、ドイツ語圏を東に拡大することとなった。「十字軍のドイツバージョン」「スラブ民族のキリスト教化」などと評価されているが、単なる征服戦争として見ると片手落ちになるという。もちろん武力衝突や略奪はあったに決まっているが、今日でいう移民のような側面もあったといわれている。

    少なくとも大幅な地名の改廃は起きなかったと考える。地名の由来を忠実にドイツ語化したことはあるにしても、多くは既存の地名を尊重している。

    エルベの東に特有の地名語尾が多く残存していることがその根拠だ。「ing」「ingen」「ungen」に代表される所有を示す語尾はスラブ地方では「in」に相当すると言われている。首都ベルリン「Berlin」がその代表格だ。他にも「ow」「itz」「ig」などがエルベの東に特有な地名語尾である。

    スペシャルコンサートは明日。前日だというのに、やけに淡々とアップする。

    2013年5月10日 (金)

    プロイセンの消滅

    プロイセンはドイツ帝国成立の主導的役割を果たしたのだが、不思議なこともある。現代の道路地図を眺めている限り、地名にプロイセンの痕跡が現れない。以下の通り昔の地域の名前が地名に冠されていることは多いのだが、プロイセンだけはさっぱりである。

    1. Bayerisch バイエルンの
    2. Frankisch  フランクの
    3. Hessisch ヘッセンの
    4. Rheinisch ラインの
    5. Sachsisch ザクセンの
    6. Schwabisch シュヴァーベンの
    7. Thuringer チューリンゲンの

    これには訳があると考えている。第二次世界大戦後連合国側の意向でプロイセンの地名が認められなくなったということだ。少なくとも公式な行政区分上ではプロイセンという言葉が用いられなくなった。プロイセンが戦争責任を問われたような形である。ドイツ帝国がプロイセン主導だったことが、マイナスイメージに繋がったのだと思う。

    逆に言うと、プロイセンの抹殺が何故第1次世界大戦後には起きなかったのかが気になる。第1次世界大戦だってドイツは敗戦国だったのだから、そのときにやられていても不思議ではない。これには有力な理由がある。第一次世界大戦でドイツは負けたのだけれど、連合軍がドイツ国内に攻め込むことはなかった。経済封鎖にによって国内経済は疲弊していたが外国の軍隊にドイツ領を蹂躙されないままの敗戦だった。

    しかしサッカーのクラブ名には、プロイセンを表すボルシアが残る。ブンデスリーガ1部には、「ボルシア・ドルトムント」と「ボルシア・メンヘングラードバッハ」があるほか、同3部にはそのものズバリ「プロイセン・ミュンスター」というクラブがある。

    スペシャルコンサートまであと2日。

    2013年5月 9日 (木)

    マルヒフェルトの戦い

    オーストリア・ウィーンの東側一帯、スロヴァキアとの国境を接するあたりの地名。「Marchfeld」と綴る。「March」は「境界」「国境」を意味するから「国境が原」くらいな意味かもしれない。事実このあたりは神聖ローマ帝国の辺境で、「オストマルク」(東の国境)と呼ばれた地域で、「オーストリア」の語源にもなっている。

    さて毎度毎度の注目は語尾。「feld」は「野」と解されて疑われない。「野」はもちろんだが、日本語の「原」くらいのニュアンスも含まれるかもしれない。

    注意しておきたいのは「戦場」という意味があることだ。「Feldarzt」で「軍医」だし、「Feldmusikant」が「軍楽隊」を表す。

    1278年ハプスブルク家ルドルフ一世とボヘミア王オタカル2世がここで戦った。大空位時代に終止符を打つべく皇帝に選ばれたルドルフ1世だが、当時はスイスの弱小貴族に過ぎない一方、オタカル2世は現在のチェコとオーストリアの東半分を有する大勢力だ。当時としてはやや卑怯な伏兵を駆使した結果、大方の予想を裏切ってルドルフ1世の勝利となり、オタカル2世は戦死する。

    オタカル1世の旧領がルドルフ1世の手に渡り、ハプスブルク家のオーストリア進出が実現した。1918年第一次大戦でハプスブルク家が滅亡するまで、ずっとオーストリアに君臨することになる。

    ハプスブルク家の関が原である。

    娘らの関が原スペシャルコンサートまであと3日。

    2013年5月 8日 (水)

    レヒフェルトの戦い

    東フランク王国のオットー大帝が、マジャール人を撃退した戦い。西暦955年の出来事だ。「Lechfeld」と綴る。バイエルン州のアウクスブルクの東、レヒ河畔の平原だ。愛用の道路地図には「Lechfeld」という地名は見あたらない。「Kriegshaber」という地名があるから、もしかすると関連があるかもしれない。

    オットー大帝が勝ったというのは、少々のパラドックスを含む。この戦いに勝ったことをもって周囲に力を認めさせたからだ。「大帝」の称号はこの戦いの7年後にローマ法王ヨハネス12世からの戴冠により初代神聖ローマ帝国皇帝に就任してからの話だ。

    つまり天下分け目の戦い。ハンガリー平原を根拠とするマジャール人がバイエルンに侵入しては、しばしば略奪を繰り返していた。オットーはゲルマン諸部族を率いてこれを撃退した。この敗北を機にマジャール人がバイエルンに侵入することは無くなったからだ。

    彼、オットー大帝は皇帝就任から11年後、973年5月7日に亡くなった。ブラームスは大帝の命日に生まれたことになる。今年は大帝没後1040年の記念イヤーだ。

    スペシャルコンサートまであと4日。

    2013年5月 7日 (火)

    あと20年

    メリーブラスマス。

    今日はブラームスの誕生日。地味に生誕180周年である。同時にブログ「ブラームスの辞書」は、開設からちょうど2900日の節目を迎える。奇遇というべきか。記事が途切れずに続いたことをいつものように喜びたい。

    開設から2900日を経過したブログは、世の中にはたくさんあると思うけれど、その間記事のアップが1日も抜けなかったブログとなると、ちっとは貴重だなどとどや顔をしている場合ではなかった。

    いささか気が重いこともある。ブログ「ブラームスの辞書」が掲げるゴール、ブラームス生誕200年まであとちょうど20年ということだ。2033年5月7日まで、記事を途切らせることなく継続することが、ブログ「ブラームスの辞書」の譲れぬ方針だ。あと20年である。1993年生まれの長女と歩んだ時間だと思えば、短いとも感じるが、これから毎日ブログ記事をアップすると考えると、立ちくらみがする。

    スペシャルコンサートまであと5日。昨夜ブラームスから「絶対に聴きに行く」とメールが入った。「ボロディンさんも連れてゆく」と言っている。ああそうだ。同い年だった。2人とも今年180歳だ。習志野文化ホールの地図をメールしよう。

    2013年5月 6日 (月)

    準決勝反省会

    一昨日、娘らのオケは準決勝を戦った。次女の通う高校の音楽系サークル4つが集う合同定期演奏会だった。オーケストラ部以外は、一昨日で3年生引退となるのだが、オーケストラ部は、その翌週に単独でコンサートを開く習慣になっている。準決勝の1週間後に決勝戦があるようなものだ。

    だから、その準決勝の後、反省会になだれ込んだ。主役は娘らではなく、お父様たちだ。単なる飲み会の口実でもある。正月、クリスマス、新年会、送別会など大人の世界では数限りない飲みの口実がある中、娘らの演奏を肴に飲めるというのは、本当に幸せなことだ。合同定期演奏会を反省し、一週間後のスペシャルコンサートに向けて気合を入れる。父親が気合を入れてもどうなるものでもあるまいが、そこはご愛嬌だ。

    メンバーの父親ばかり10名にサプライズなスペシャルゲストを加えた計12名で、しこたま飲んだ。36代のお父様方は既にいつも演奏会で顔を合わせる常連だ。先日のふくだもな壮行会のメンバーも3名いる。娘らオケの後援会は、とかくお母様中心の色合いが濃いので、父親同士の付き合いは貴重。早くに妻を亡くした私はいわば両性具有で、お母様方中心の後援会役員もやりつつ、お父様の飲み会にも顔を出す両面待ちだ。

    予定より30分以上早く店に転がり込んでウガイ代わりに瓶ビールを空けまくり、規定の開始時間には、腹の底まで消毒が進んでいた。定刻になってかねて準備の「オーケストラ型座席配置」に特製名札を持って移動。私はいつの間にか「隊長」と呼ばれている始末。先輩の発声で乾杯。やがて「自己紹介の輪切り」で雰囲気をほぐしてから娘にソロがあったお父様のスピーチ。タイミングよくゲストが時間差で到着するから、同じ話が回ってももたれない。

    延々と「本日の演奏」を話題に盛り上がる。間もなく現役生活を終える36代の父5名のテンションは特大だった。他の代のお父様は聞き役にまわった感じ。ここらへん課題か。

    最後、「クレッシェンド3本締め」でお開きだが、有志は2次会へ。これで決勝戦は盛り上がること間違いない。

    スペシャルコンサートまであと6日。そして今日はブラスマスイブ。

    2013年5月 5日 (日)

    準決勝の出来

    次女の高校の音楽系部活合同の定期演奏会があった。「マンドリン」「吹奏楽」「合唱」「オーケストラ」の4部合同だ。オーケストラ部以外の3つの部活では、昨日をもって3年生が引退となる。それにしても、器楽系3部に囲まれた唯一の声楽系・合唱部の演奏は、素晴らしかった。およそ1時間のステージが完全な暗譜演奏。オケに比べてステージ上の動きが少なく、吸い込まれるような緊張感。よくよく見ると部員一人ひとりが少し揺れているのが、神秘的だ。2曲目の「Lauda Sion」がとりわけ気に入った。ダイナミクス「ピアノ」の内側が5段階くらいに分かれている感じ。

    さてさてオーケストラ部には一週間後にもう一度引退公演ともいうべきスペシャルコンサートが待っている。だから気分は準決勝。準決勝のプログラムは以下の通り。

    1. 「カヴァレリア・ルスティカーナ」より前奏曲
    2. 仮面舞踏会
    3. 「となりのトトロ」より「風の通り道」
    4. 八重の桜
    5. ボロディン;交響曲第2番 全曲

    まずはカヴァレリ。熟成を重ねた間奏曲ではなく前奏曲。あの子達のオケの土台を形成する作品。第一ヴァイオリンのメンバー全員の音が溶け合ったせいだろうか、響きに奥行きがある。

    もはやロシア物はオハコかと思わせる仮面舞踏会。カヴァレリと同じオケとは思えぬワイルドな音色。引き出しがこっちにもという感じ。

    「風の通り道」にあるコンサートミストレスのソロ。いいねぇ。丸くてギスギスしてないほっとする音色。

    最後のボロディンはオケフェスからまた上乗せがあった。第一楽章の「Sul G」の連発はホンの名刺代わり。松脂の煙たなびく大熱演なのだが、そこはボロディンの意図通り、疑問が疑問のままに終わる。第一楽章の後で盛大な拍手が来てしまった。続く手に汗握る第2楽章はキビキビとすばしこく飛び跳ねるオケ。それが第3楽章の美しさの前触れでしかないという仕掛け。やっぱりまた拍手をもらってしまった後、実は超しっとり系の第3楽章こそが、全曲のヤマなのだと確信。薄皮一枚を丹念に貼ったり剥がしたりの自在のニュアンス。花丸を特大であげたいクラリネットとホルンの肝っ玉の座りっぷりと、それを掌に包み込んで「はいどうぞ」とばかりにそっと差し出すようなオケの風向き。木管はとにかく見せ場の連続なのだが、度胸試しばかりされるホルンとハープの「ポロン」という和音から、音も無く立ち上がるクラリネットの繊細さは筆舌に尽くし難い。

    フィナーレに繋げるセカンドヴァイオリンの5度が、今日はやけに身にしみた。曲が4楽章に差し掛かると、オケ全体に「ココまで来ればもう大丈夫」というオーラが充満する。ちゃんと音に出ている。打楽器とコントラバスのキレは最早伝統なのだろう。ノーブルで誇り高きピッコロは、抜群の安定感でスパイスを効かせてくれる。毎回感心するので、最早まぐれではあるまい。第一楽章で解決されずに残ったままの疑問が、すっきりと片付けられる。指揮者だけでなく、みんながそうしたストーリーを呑み込めている感じ。

    次女はといえば顧問の指揮者の左膝元の指定席で、四方八方にアンテナを張り巡らすよう。作品の持つストーリーの段落ごとに仲間とのコミュニケーションを楽しんでいる風情。

    いつもより念入りに感想を文字にした。宣伝のためだ。嘘だと思うなら7日後のスペシャルコンサートに足をお運びください。

    何とも回りくどい親ばか。

    2013年5月 4日 (土)

    ホームアンドアウェイ

    試合会場地元のチームが有利というのは、サッカーに限らず球技の世界ではもはや常識だ。選手のコンディションはもちろん、聴衆の後押しをなめてはいけない。聴衆の大声援が、審判のジャッジに与える影響も軽視できない。中立地で試合をしてそれらを是正する手はあるのだが、どうも主流ではない。「ホーム有利」を受け入れた上で、お互いに同じ試合数をホームで行うことで、公平性を担保している。

    この仕組みを「ホームアンドアウェイ方式」という。英語「Home and Away」だ。この場合の「Home」をドイツ語では「Heim」と言う。単に「家」という意味のほかに「故郷」という意味がある。「Haus」や地名語尾「hausen」との違いは、日本人には厄介だが、「ホームアンドアウェイ」の「ホーム」に相当すると知ることで少しは理解の助けになった。

    昨日に続きサッカーの話題なのだが、そこは、まんまと地名に結びつける。ドイツには本日の話題「heim」を語尾に従える地名が頻出する。愛用の道路地図の索引12697個の地名のうち、「heim」を語尾に従えるケースが547件ある。率にして4.3%で地名語尾ランキングの第3位。「インゲルハイム」「ヒルデスハイム」「マンハイム」などがその代表例だ。「hausen」との棲み分けは大変興味深い課題だから、いつもヒントを探しているのだが、本日の話題はちょっとした手掛かり。

    「Heim」が英語「Home」に相当することが判ったのはいいけれど、英語圏の地名で「home」を語尾に据えるケースを見かけないのが気にかかる。謎が謎を呼ぶ。

    欧州のクラブチームチャンピオンを決めるUEFAチャンピオンズリーグは、準決勝まではホームアンドアウェイだが、決勝戦だけは予め決められた会場で一発勝負だ。今年はロンドンのウェンブリーである。

    スペシャルコンサートまであと8日。

    2013年5月 3日 (金)

    バイエルン対プロイセン

    昨年、次女のオケのドイツ公演を追いかけて、長男と出かけたドイツ旅行以来、我が家はすっかりドイツモードに入った。正確に申せば私はもともとドイツラブだったが、これに長男が加わった感じ。

    「音楽」「ビール」「車」「鉄道」「ワイン」「ビスマルク」などの話題が長男との会話に頻出する。とりわけサッカーだ。昨年の旅行中、行く先々でサポーターグッズを買い求めた。ニュルンベルク、レヴァークーゼンではスタジアムにも出かけた。大聖堂の見学をそそくさと切り上げてケルンのタオルマフラーを買ったのだが、バチが当たってケルンは2部に降格してしまった。自由行動で訪れたレーゲンスブルクは逆に3部から2部に昇格した。早朝無理やり訪れたフュルトは、まさかの1部昇格だ。

    2012-13シーズンは旅行ゆかりのブンデスリーガを心から応援した。そして昨日までに、クラブチームの欧州最強を決める大会で、ブンデスリーガ勢2クラブ、バイエルン・ミュンヘンとボルシア・ドルトムントが決勝進出を決めた。かつて同大会で決勝戦の同国対決は、2000年スペイン、2003年イタリアと2008年イングランド各1回しかない。ドイツ同士の決勝戦は史上初だ。どちらが勝っても12シーズンぶりのドイツの覇権だ。いやむしろこれはドイツブンデスリーガ同士はなく、バイエルン対プロイセンととらえるべきかもしれない。

    長男はバイエルンの勝ち、私はプロイセンの勝ちと予想している。決勝戦は5月25日。

    スペシャルコンサートまであと9日と書いてはみたが、本日の記事は娘らのコンサートにも地名にも関係が無い。

    2013年5月 2日 (木)

    選帝侯

    ドイツ独特な歴史上の概念。神聖ローマ帝国の皇帝は有力者の投票で決まった。投票権を持つ人たちを選帝侯と言った。ドイツ語で「Kurfurst」と言う。王を選挙で選ぶ発想はザクセンの伝統らしい。事実上の世襲であっても選挙の体裁を取ったようだ。これが完全選挙になるキッカケが大空位時代だ。神聖ローマ皇帝が20年も不在だった。

    これが制度としてキチンと確立したのが1356年金印勅書だ。7人の選帝侯は以下の通り。

    マインツ大司教、トーリア大司教、ケルン大司教、ボヘミア王、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯王、プファルツ伯の7名だ。

    金印勅書以降に選帝侯になったのは、ハノーファー侯、バーデン辺境伯、ヴュルテンベルク公、ヘッセン-カッセル方伯、ザルツブルク大司教の5名だ。

    ベルリンの繁華街に「Ku'damm」がある。正式には「Kurfurstendamm」で、「Damm」は道、とりわけ車道だから「選帝侯の道」を意味することとなる。日本ならば「御成街道」かもしれない。ここでいう選帝侯はブランデンブルク辺境伯のことだ。バッハのブランデンブルク協奏曲は、ブランデンブルク辺境伯へのプレゼントである。

    スペサンルコンサートまであと10日。

    2013年5月 1日 (水)

    皇帝

    ドイツ語で「Kaiser」。当然「Caesar」シーザーが語源である。王の中の王。西ローマ帝国滅亡後、カール大帝率いるフランク王国が中部欧州の覇権を確立し、教会権力を基盤に西ローマ帝国皇帝の地位を認められる。ところが彼の没後孫の代であっけなく分裂、ロタールが中フランク、シャルルが西フランク、ルドヴィッヒが東フランクを継承する。ロタールの死後中フランクは東西に吸収されるが、残ったイタリア王が、教皇領に侵入した。

    教皇はこのときに助けを求める。東フランクのオットーだ。このとき西のカペー朝がさほど頼りにならなかったのが運のつきだ。オットーはこのときの功績で教皇からローマ皇帝に戴冠される。ドイツ王である彼がローマ皇帝をかねるのだ。神聖ローマ帝国の成立である。

    この効果は絶大だ。神聖ローマ皇帝は王の中の王だ。領土が狭かろうが金がなかろうが、皇帝である限りフランス王や英国王より格上である。中世ヨーロッパはこうした枠組みで展開してゆく。

    カール大帝の孫3人が現在のドイツ、フランス、イタリアの祖形を築いたのだが、明暗が分かれた。ドイツは皇帝を獲り、イタリアは教皇を獲った。悔しいのはフランスだ。悔し紛れのジョークがある。「フランスは料理を獲ったのさ」というオチだ。とりわけタッチの差でドイツに皇帝を獲られた無念はずっとフランスの底流にあり続けたと思われる。

    1806年神聖ローマ帝国に引導を渡したナポレオンは、あっさり皇帝を名乗る。中世のしきたり伝統を全て無視して、自ら戴冠する。西フランクの敵討ちだとも解し得る。

    これ以降「皇帝」の意味合いは変化する。「王の中の王」ではなくなる。ナポレオンに対抗してハプスブルク家もオーストリア皇帝を名乗るし、ロシアにも皇帝が現れ、挙句の果てに1871年にはドイツ皇帝が登場する。メキシコやブラジルにだって出現するようになる。大安売りとまでは言えまいが、若干価値が下がった感じがする。ナポレオンの功績の一つだ。

    「Kaiser」は地名にも多く残る。「カイザースラウテルン」を筆頭にちょくちょく見かける。「王の中の王」の意味か、ナポレオン以降の意味か確認が必要だし、同種のもののよりすぐれた方に区別の意味で「カイザー」と冠される場合もあるので悩ましい。

    スペシャルコンサートまであと11日。

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