湿地を干拓
耕作地を増やす行為としての開墾は、荒地を切り開くというイメージだ。これに対して湖水を含む水面や湿地を埋め立てるという方法がある。単に土砂を運び込むという方法と、堤防を造って水を追い出すという方法がある。後者が「干拓」と呼ばれている。
低湿地が多いドイツ北部では、荒地を切り開く開墾よりは、干拓か埋め立てで湿地を改良するほうが現実的と思われる。実はこの干拓こそが地名語尾「koog」である。シュレスヴィヒホルシュタイン州やメクレンブルクフォルポムメルン州に頻出する。人名を先頭に据えて「koog」で締めくくった地名が多い。功績のあった人や領主などその手の地名は日本にも多い。
堤防を造ってその内側の水を抜く以上、堤防が後に残る。堤防に囲まれた土地を意味する地名語尾「hude」も、「koog」の密集する地区に見られる。ブラームスの故郷ハンブルクの南西に「Buxtehude」がある。バロック時代の巨匠の名前と同じだとはしゃいだ記憶があるが、地名語尾的にもお宝だった。堤防に囲まれた土地だから日本でいう「輪中」の可能性もあるから、地図で実態を確認したところ大きな川に囲まれてはいないので「輪中」の可能性は低い。
さて干拓によって「koog」に仕立てられる前の湿地も地名語尾になっている。「moor」または「moos」がそれだ。北部では「moor」になる一方で、南部では「moos」になる。
耕作はもちろん建築や通行にも適さない湿地がどうして数多くの地名になっているのか不思議だったが、どうやら野太い必然が横たわっていた。
こうした沼沢地は、古代においては外敵の侵入を妨げる天然の掘割の役目を果たしていた。やがてそうした沼沢が神聖視されるようになり、祭祀の場となっていった。周囲を小高い丘に囲まれた概ね直径50m以内の沼が、聖地として認識され、夥しい供物が投げ込まれた。物ばかりではなく、生贄も葬られた。
19世紀から20世紀初頭にかけて産業革命の進行と共に燃料として泥炭が用いられるのと平行して、ドイツ北部の沼沢地から夥しい遺物が発見された。泥炭から発する腐植酸と、カシワの棺に由来するタンニンの作用で、2000年前の遺体が極上の保存状態で、700体以上出土している。
つまりそれらについての学問が沼沢考古学と称されている。
ブラームスの故郷を含む北部ドイツ一帯にはこうした沼沢地が密集している。
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