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2013年5月10日 (金)

プロイセンの消滅

プロイセンはドイツ帝国成立の主導的役割を果たしたのだが、不思議なこともある。現代の道路地図を眺めている限り、地名にプロイセンの痕跡が現れない。以下の通り昔の地域の名前が地名に冠されていることは多いのだが、プロイセンだけはさっぱりである。

  1. Bayerisch バイエルンの
  2. Frankisch  フランクの
  3. Hessisch ヘッセンの
  4. Rheinisch ラインの
  5. Sachsisch ザクセンの
  6. Schwabisch シュヴァーベンの
  7. Thuringer チューリンゲンの

これには訳があると考えている。第二次世界大戦後連合国側の意向でプロイセンの地名が認められなくなったということだ。少なくとも公式な行政区分上ではプロイセンという言葉が用いられなくなった。プロイセンが戦争責任を問われたような形である。ドイツ帝国がプロイセン主導だったことが、マイナスイメージに繋がったのだと思う。

逆に言うと、プロイセンの抹殺が何故第1次世界大戦後には起きなかったのかが気になる。第1次世界大戦だってドイツは敗戦国だったのだから、そのときにやられていても不思議ではない。これには有力な理由がある。第一次世界大戦でドイツは負けたのだけれど、連合軍がドイツ国内に攻め込むことはなかった。経済封鎖にによって国内経済は疲弊していたが外国の軍隊にドイツ領を蹂躙されないままの敗戦だった。

しかしサッカーのクラブ名には、プロイセンを表すボルシアが残る。ブンデスリーガ1部には、「ボルシア・ドルトムント」と「ボルシア・メンヘングラードバッハ」があるほか、同3部にはそのものズバリ「プロイセン・ミュンスター」というクラブがある。

スペシャルコンサートまであと2日。

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