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2013年5月 1日 (水)

皇帝

ドイツ語で「Kaiser」。当然「Caesar」シーザーが語源である。王の中の王。西ローマ帝国滅亡後、カール大帝率いるフランク王国が中部欧州の覇権を確立し、教会権力を基盤に西ローマ帝国皇帝の地位を認められる。ところが彼の没後孫の代であっけなく分裂、ロタールが中フランク、シャルルが西フランク、ルドヴィッヒが東フランクを継承する。ロタールの死後中フランクは東西に吸収されるが、残ったイタリア王が、教皇領に侵入した。

教皇はこのときに助けを求める。東フランクのオットーだ。このとき西のカペー朝がさほど頼りにならなかったのが運のつきだ。オットーはこのときの功績で教皇からローマ皇帝に戴冠される。ドイツ王である彼がローマ皇帝をかねるのだ。神聖ローマ帝国の成立である。

この効果は絶大だ。神聖ローマ皇帝は王の中の王だ。領土が狭かろうが金がなかろうが、皇帝である限りフランス王や英国王より格上である。中世ヨーロッパはこうした枠組みで展開してゆく。

カール大帝の孫3人が現在のドイツ、フランス、イタリアの祖形を築いたのだが、明暗が分かれた。ドイツは皇帝を獲り、イタリアは教皇を獲った。悔しいのはフランスだ。悔し紛れのジョークがある。「フランスは料理を獲ったのさ」というオチだ。とりわけタッチの差でドイツに皇帝を獲られた無念はずっとフランスの底流にあり続けたと思われる。

1806年神聖ローマ帝国に引導を渡したナポレオンは、あっさり皇帝を名乗る。中世のしきたり伝統を全て無視して、自ら戴冠する。西フランクの敵討ちだとも解し得る。

これ以降「皇帝」の意味合いは変化する。「王の中の王」ではなくなる。ナポレオンに対抗してハプスブルク家もオーストリア皇帝を名乗るし、ロシアにも皇帝が現れ、挙句の果てに1871年にはドイツ皇帝が登場する。メキシコやブラジルにだって出現するようになる。大安売りとまでは言えまいが、若干価値が下がった感じがする。ナポレオンの功績の一つだ。

「Kaiser」は地名にも多く残る。「カイザースラウテルン」を筆頭にちょくちょく見かける。「王の中の王」の意味か、ナポレオン以降の意味か確認が必要だし、同種のもののよりすぐれた方に区別の意味で「カイザー」と冠される場合もあるので悩ましい。

スペシャルコンサートまであと11日。

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