レヒフェルトの戦い
東フランク王国のオットー大帝が、マジャール人を撃退した戦い。西暦955年の出来事だ。「Lechfeld」と綴る。バイエルン州のアウクスブルクの東、レヒ河畔の平原だ。愛用の道路地図には「Lechfeld」という地名は見あたらない。「Kriegshaber」という地名があるから、もしかすると関連があるかもしれない。
オットー大帝が勝ったというのは、少々のパラドックスを含む。この戦いに勝ったことをもって周囲に力を認めさせたからだ。「大帝」の称号はこの戦いの7年後にローマ法王ヨハネス12世からの戴冠により初代神聖ローマ帝国皇帝に就任してからの話だ。
つまり天下分け目の戦い。ハンガリー平原を根拠とするマジャール人がバイエルンに侵入しては、しばしば略奪を繰り返していた。オットーはゲルマン諸部族を率いてこれを撃退した。この敗北を機にマジャール人がバイエルンに侵入することは無くなったからだ。
彼、オットー大帝は皇帝就任から11年後、973年5月7日に亡くなった。ブラームスは大帝の命日に生まれたことになる。今年は大帝没後1040年の記念イヤーだ。
スペシャルコンサートまであと4日。
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