首都アーヘン
アーヘンは「Aachen」と綴る。ボンのほぼ真西ベルギーとの国境沿いにある。Aachenは、水辺語尾「au」や「川」を意味する「Ache」に関係があるとされている。
カロリング朝カール大帝の首都と位置付けられている。もちろん現代における首都とは意味が違う。当時は皇帝と言えども一箇所にとどまっていなかった。在任中征戦に明け暮れたから、首都の機能はカールの移動と共に移転した。ライン南岸のインゲルハイムもその一つだ。カール大帝がもっとも長く滞在したのがアーヘンだ。
アーヘンがあるのはライン川とマース川に挟まれたあたり。ベルギーやオランダの一部を含むこの地域が、カールを育んだカロリング家の出身地だ。カールがアーヘンに長く滞在し、半ば首都の様相を呈したのは、そこが王朝にとっての父祖の地だからと解すると納得が行く。
さらに決定的なことがある。カールの孫の代で3人の王子が国を分割した時、長男のロタールが押えた中央フランクの領域にこのアーヘンが属しているということだ。大帝カールゆかりの地である、カロリング朝の出自の地を長男が領有するのは自然なことだと思われる。
次男三男による密約ではなく、単に長男が一番おいしい選択をした考える根拠である。
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