北限の証言
気がつけばアラビアンナイト計画のエンディングまで1ヶ月を切っている。
例によってやや唐突に鴎外の「独逸日記」1885年5月12日の記述。ライプチヒからドレスデンに向かう車中のエピソードが記載される。間もなくドレスデンというときになって、列車がレースニッツLossnitzに差し掛かった頃、鴎外は車窓にブドウ畑を見つける。
ここで同行の友人が薀蓄を披露する。ブドウは年間平均気温摂氏9度以上でないと育たない云々。ドレスデンの年間平均気温9.1度だからギリギリこれを満たしている。「欧州大陸中葡萄栽培の北界にあたる」と結ばれる。
おお、現在でもこのあたり一帯はドイツワイン産地としては最も東にあたる。厳密に申せばライプチヒ近郊のザーレ・ウンシュトルート地区がワイン生産の北限だが、レースニッツも大局的には北限と申してよい。130年前からワイン生産の北限が変っていないことが判る。しかも文豪鴎外の貴重な証言。
「独逸日記」1885年5月12日の記事をキッカケにブログ「ブラームスの辞書」はアラビアンナイト計画のエンディングに向けてファイナルアプローチに入る。シートベルト着用のサインが出る頃だ。5月12日は次女たちの晴れ舞台スペシャルコンサートの日だった。その日から128年前の鴎外の記述を梃子に、「地名語尾特集」最後の隠しテーマ「ワイン」に突入する。
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