Meininger
マイニンゲンで1841年創業の醸造所の名前。興味深いのはその名前の成り立ち。「Meiningen」という都市名を形容詞化するにあたりそのまま形容詞語尾「er」を付加せずに、一旦「en」を除去している点だ。ゲッティンゲンで同じことを試みると「ゲッティンガー」になるものと類推できる。
昨日の記事「飲んだ可能性」でブラームスが味わった可能性に迫ったつもりだが、本日は別角度からブラームスが賞味していた可能性を検証する。1880年ビューローが同地の宮廷楽団の指揮者になった。マイニンゲン大公ゲオルク2世の招きだ。その縁でブラームスも大公と懇意になり、交流は終生続いた。第4交響曲初演のエピソードとともに大公の名は語られることが多い。1866年大公になった彼は翌年このマイニンガーを宮廷の御用達ビールに認定した。1891年に指定が解除されるまで、同ビールは大公公認のビールだった。
1880年以降しばしば同地を訪れ、大公と交流したブラームスがこれを飲んでいないハズがない。中年以降ブラームスはドイツ音楽界の重鎮だから、各地を訪問した際、地元の名士から歓待を受けた。ドイツ作曲界の第一人者で大のビール好きだったブラームスを、地元のビールでもてなすのは必須だったと見ていい。ましてやホストがマイニンゲン大公なら、自ら指定した宮廷御用達ビールを食膳に供さぬはずはない。
状況証拠だけながら、かなり有力。第4交響曲が同地で、マイニンゲン公来臨で初演された際、打ち上げのパーティーで賞味されたビールである可能性を本気で考えている。
もちろん現在でも元気に操業中だ。
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